昭和維新試論

以前読んで面白かった「ナショナリズム―その神話と論理」の16年後に出版された橋川文三の著作。

解説を担当した鶴見俊輔の文章を参考にするなら、本書の目的は、「占領軍の指す方向にしたがって、昭和初期のナショナリズム軍国主義と一つのものとみなす」という戦後の傾向に対し、「もっと複雑な思想の流れ」があったと異議を申し立てることであり、本書の「序にかえて」で昭和維新のスタートを暗示する人物として取り上げられているのは、大正10年(1921年)に起きた安田善次郎暗殺事件の犯人である朝日平吾

彼の行動の根底にある「何故に本来平等に幸福を享有すべき人間(もしくは日本人)の間に、歴然たる差別があるのかというナイーブな思想」は、大正デモクラシーを知らない「明治期の人間にはほとんど理解しえないような新しい概念だったはず」であり、「私はもっとも広い意味での『昭和維新』というのは、そうした人間的幸福の探求上にあらわれた思想上の一変種であったというように考える」というのが本書の目指す結論ということになるのだろう。

次に取り上げられているのは、「生涯を妻子もなく、正業もなく、いわば一介の奇人的放浪者として終わった」にもかかわらず、「多くの年少の維新運動者によって、その精神的な父として記念されている」という渥美勝。街頭で「『桃太郎』と大書した旗のもと、日本神話にもとづく日本人の生命観、使命観」を毎日のように説いていたという奇人に過ぎない彼の一体「何がそれほどに人をつき動かしたのであろうか」。

そんな彼の「桃太郎主義」の読解はなかなか興味深いところであり、「日本人にとって生命の意義は、楽園→追放(堕罪)→審判という過程によって説明されるのではなく、そのありのままの本然に従って、ただ神の指図のままに行動するところに明らかにされる」と要約される渥美の生命観を、「いわば、日本人の歴史は、その神話の教えるように、いまだ『楽園』から追放されることのない原始態の中にある」と考えているようだと評している。おそらく、これと同様の考えが、現在にまで至る「神の国」、「神の子」という思考にも繋がっているのだろう。

しかし、「私たちは渥美の生活経歴を見るとき、かえって彼の生活心情をいろどったものが、濃厚な『存在の怯え』『罪の意識』ではなかったかと思わざるをえない」というのが悲劇的なところであり、「西欧帝国主義に対する微妙な憧れと反撥」という矛盾を最後まで乗り越えることが出来なかった彼は、自分自身を「終始無能者として意識せざるをえなかった」。

「それは『昭和維新』が、まさに20世紀初頭、世界的潮流となっていた帝国主義に対する日本人の初心の精神的反応の中にその起源をもっているからであり、そして、渥美のほとんど思想とも行動ともならなかった生き方の中に、人々が自らの維新願望の原型をたえず回顧せしめられたからであろう」というのが、先の問いに対する著者の回答になる。

続いて「渥美のような人間が登場する時期」とされる20世紀初め、明治30年代の日本の状況を探っているのが「4 長谷川如是閑の観察」以降の数章であり、「要するに1900年代初期の日本は、マスとして『原子化』『私化』しつつある群衆を素材とし、天皇の権威を頂点として精密な機構化を完成した帝国であり、その帝国内に生きんとする限り、自らその帝国の機構の運転者となるか、さもなければ帝国の生活運動とは無関係に、自己の『私』をまさしく私生活内の世わたりとして磨きあげるか、もしくは官能ないしなんらかの手製の信仰の中に、その『私』をとじこめるしかないという状態であったということになる」というのがその結論。

ちなみに、「原子化」、「私化」というのは、「およそ近代化の衝撃をうけるとき、『伝統的』社会内部の存在であった個々の自然人が、全般としていやおうなしに個としての意識を強制されるという過程」を意味する丸山真男の「個人析出」の4パターンのうちの2つであり、“結社形成的”な「民主化」、「自立化」に対してはともに“非結社形成的”とされるが、権威に“求心的”な「原子化」に対して「私化」は“遠心的”とされる。

さて、そんな「いわゆる国民道徳の頽廃とちょうど見合うように、総体としての日本支配層もまた、その統治上の自信を見失いつつあった」らしいのだが、その対策として行われたのが「政治史上『地方改良運動』とよばれる官僚の国家構造再編運動」。その「一環として行なわれた神社統合」にも見られるとおり、それは「『宗教と政治と産業と教育と軍事とを渾然と統一した一種の兵営国家』の実現を目指したもの」であった。

正直、このあたりから著者の筆は、「ナショナリズム―その神話と論理」のときと同様、にわかに暴走を始め、次第に論旨が不明確になっていくのだが、結局、鶴見が解説で述べているとおり「昭和維新の思想は、地方改良運動―地域自治、軍部による政府転覆―軍部の圧力による国家統制の強化というふりはば」をもっていたということを明らかにしたかったのだろう。

その中でも、「もとより維新者そのままの姿としてではないが、維新運動の思想を考える場合に必要な対照を提示する巨人の一人」として名前を挙げられている柳田国男への言及は、中途半端というか、何やら意味深長な記述になっており、ちょっと気になるところ。そのうち著者の柳田国男論も読んでみようと思う。

そして、軌道修正を図った最後の「15 国家社会主義の諸形態」では、三島由紀夫も認めた簡潔明瞭な美文によってここまでの要約がされており、昭和維新に関しては、「こうして右翼革新派は日本の伝統=国体の純粋化によって社会的諸矛盾を解決し、ひいてはその模範を普遍的な世界救済の原理として拡大しうるものと考えるにいたった。のちの『八紘一宇』の発想もその系統をひいている」と一応結論らしきものを述べている。

勿論、それが大いなる勘違いであったことは著者も認めているところであり、「12 日本的儒教の流れ」では「かんたんにいえば1920年代以降の日本は、アジア諸国の眼に決して自らのチャンピオンとは見えず、とくに中国との断絶はいっそう拡大しようとしていたにかかわらず、日本は、その漢学復興のジェスチュアによって、『東洋道徳』の最良の部分を代表するかの如き錯覚をいだいていたということになる」と指摘している。

一方、左翼革命派に対する評価はなかなか手厳しく、「もっぱら理論の学習と解釈の精密化を争う『理論闘争』が先に立ち、現実への密着はますます希薄化」してしまったと強く批判している。特に「日本国民を根づよくとらえていた土着の天皇信仰…の意味を周到に測定する準備に欠けていた」のは致命的であり、「彼らの『理論』は、全く生活者の『実感』と交流することのない内閉的な完結性をもつこととなり、現実の世界をこえた位相のもとに『美しい徒労』の幻想をえがくにとどまった」と揶揄しているのがいかにも著者らしい。

ということで、鶴見の解説によると、1970年6月から雑誌への連載が始まったこの論文は、当初の予定ではもっと長く続く予定だったのだが、著者の病気が原因で中断されてしまったらしい。おそらく最終章における軌道修正はその予感に基づいて急遽行われたものであり、もし著者の健康が回復していたら「ナショナリズム―その神話と論理」を超える千変万化の大論文になっていたのかもしれません。