昭和史発掘10

松本清張のノンフィクション作品「昭和史発掘」の続き。

この巻に収められているのは、昭和11年2月26日午前5時をもっていよいよ開始された青年将校らによる武力行使の詳細を描いた「襲撃」と、その日のうちに始まった陸軍幹部に対する「上部工作」の様子を各種資料を元に再現した「『諸子の行動』」の2編。

「襲撃」の具体的内容は既に知られているとおりだが、ほとんどの下士官や兵士が「とにかく、わけの分からないうちに事態が進んでいった」、「どこに向って進軍するのか、どんな敵か私達にはわからない」、「明治神宮に参拝するということで出発した」等といった状況にあるにもかかわらず、実現されてしまうのが軍事クーデターの怖いところ。

それには、「決行将校が下士官兵を命令で従わせる以外、…決行は自分らの中隊だけでなく、第一師団管下の部隊全部または全国の師団の呼応がある」と下士官兵たちに思い込ませていたことも大きいのだが、「あとで事件の内容がだいたい分ってから、こんな小規模なものだったかとがっかりした」というのは、まあ、ご愁傷様としか言いようがない。

一方、首謀者の一人である磯部は「とに角言ふに言へぬ程面白い、余はもう一度やりたい。あの快楽は恐らく人生至上のものであらう」と後日、獄中で回想するほどの高揚ぶり(=著者は「敗北した彼の虚無的な絶叫」と評している。)であり、「もし誤っていた場合は栗原が腹を切ってお詫びすればよい」というのもあまりにも無責任な態度だと思う。

結局、計画の未熟さのせいもあっていくつか取りこぼし(?)も出るのだが、とりあえず「三宅坂平河町霞ヶ関一帯の政治、軍事、警察など一切の権力中枢部区域を一挙に奪い取」ることに成功し、占拠した陸相官邸を拠点にして「軍の責任者に云うことを聞かせようという…香田、村中、磯部らの上部工作」が開始されることになる。

その具体的な内容は次の「『諸子の行動』」で明らかにされるのだが、その前に取り上げられているのが「一切の資料から抹殺されている」という近歩三の中橋中尉による宮城占拠計画。すなわち「中橋が兵をひきいて宮城に入ったのは、武力をもって宮城を制圧しようとしたのである。具体的には坂下門を押え、天皇重臣・高官を分離遮断する目的だった」と著者は考えている。

残念ながら(?)、警視庁を占領していた野中部隊を宮城に導入するための手旗信号が阻止されてしまい、この計画は間一髪のところで頓挫してしまうのだが、その背景には「皇居の庭で激戦が交えられること」に対する中橋の「軍人的な『恐懼』」があったのではないかというのが著者の推理。結局、ここでの失敗は「二・二六の決行そのものの崩壊」へと繋がってしまう。

さて、要人の襲撃と陸相官邸等の制圧を(一応)成功裡に終えた青年将校らは、「この制圧を背景にして、いよいよ彼らのいう上部工作、『昭和維新』実現に向う政治折衝の段階」へと進むのだが、そんな彼らの当面の要求は、情勢の有利なうちに自分たちを「義軍」として認めさせてしまうこと。

しかし、ここで「グズの本領」を遺憾なく発揮した「川島陸相は…当惑をするだけで、相手に何ら言質を与えな」い。駆け付けきた「真崎に『戒厳令を布け』といわれても、また、石原に『断乎討伐』の線を進言されても、決断がつかない」の一点張り。ちなみに、ここで真崎大将が勧めている戒厳令は「これを施行中に皇道派の軍部内閣をつくり、『昭和維新』体制の基礎をつくる」ためのものであり、「もっぱら『叛乱部隊』を『鎮圧する目的』」で「実際に行われた幕僚部による戒厳令とは正反対の性格だった」ことに留意する必要がある。

一方、天皇はかなり早い時期から決行部隊のことを「叛乱軍」に近い感情で捉えていたらしいのだが、そのことを明確に知らされないまま開催された「宮中の非公式軍事参議官会議」(=本来は天皇の諮問に答える目的で開かれる。)は、皇道派の「真崎、荒木のペースに川島陸相の便乗ですすめられ」ることになる。

結局、「諸子ノ行動は国体顕現ノ至情ニ基クモノト認ム」という一文を含む陸軍大臣告示(=第二次下達では「行動」が「真意」に差し替えられている。)や、「決行部隊を『左翼団体』に備える警備部隊として合法化し、現在位置に残置する」趣旨の「軍隊ニ対スル告示」、さらには「『維新大詔』渙発間近しの『内報』」まで得たことにより、「その真意に一抹の不安をおぼえながらも…その日いっぱい勝利感に湧いていた」というのが事件当夜における決行部隊の将校や兵士の状況。

しかし、これに対する著者の批判は痛烈であり、「彼らには決行計画はあったが、そのあとの建設計画がなかった。彼らは…この粛正を志す決行には必ず国民の支持が得られる。かくて破壊のあとには自然と『維新的な』改革が行われると思いこんでいた」というのは、五・一五事件に対する批判とほぼ一緒。

戦略的にも「成功するかどうかは別として、真崎、荒木、西、安部に執拗に喰いつき、あるいは脅迫し、あるいはおだてて、退引ならぬ言質をとるべきであった」、「『大権私議』といわれようが、もう少し勇敢に猪突すべきだった」、「なぜに最初の秘匿された計画通りに宮城占拠まで進まなかったのか」といった批判の言葉が並び、その後に「恐らく陛下は、陛下の御前を血に染める程の事をせねば、御気付き遊ばさぬのでありませう」という磯部の遺恨の言葉を紹介している。

ということで、いよいよ始まった二・二六事件であるが、この手のことは事件そのものよりその後のバタバタした対応や後始末の方がずっと面白いに決まっており、この先どんな展開が控えているのかとても楽しみ。次巻では二・二六事件の「崩壊」までが取り上げられているようです。