大逆事件 死と生の群像

田中伸尚というノンフィクション作家が大逆事件の100年後に発表した作品。

共謀罪に関する国会審議がやや強引に進められているということで、その悪用の先駆的事例(?)である大逆事件の勉強をしてみようと思い立ったのが本書を手にした主な理由。大逆事件幸徳秋水の名前くらいは知っていたが、この良くまとめられたレポートを読んでみると今さらながらに驚かされることが多かった。

そもそも事件の発端になったのは、宮下太吉という職工が「爆弾をつくり、天子も我々と同じで血の出る人間だということを分からせて、人民の迷信を打破しなければならない」という動機から企てた明治天皇の暗殺未遂事件なのだが、計画自体は具体性を欠いたかなり杜撰な内容であり、手作りの爆裂弾の試爆を行ったくらいで3人の協力者共々あえなく警察に逮捕されてしまっている。

事件としてはたったこれだけのことなのだが、社会主義者無政府主義者を一掃する機会を窺っていた桂内閣主導下の官憲は、宮下が幸徳秋水の知合いであったことに着目。事件の首謀者を秋水、大石誠之助、松尾卯一太といった当時の社会主義無政府主義の大物に勝手にすり替えてしまい、宮下等とまったく関係のない人々を大逆罪の容疑で次々に逮捕・起訴していく。

まあ、政府によるこの強引なでっちあげやそれに追認してしまった当時の司法・マスコミ関係者、そして大逆罪受刑者の家族等に対する世間の冷酷な仕打ちといった一連の流れに関しては、もう読んでいて暗澹たる気持ちにされてしまうのだが、唯一の救いはこれらが現在とは異なる旧憲法下の時代に起こった出来事であるということ。

ようやく戦後の時代に入り、大逆事件の唯一の生き残りである坂本清馬が森永英三郎という優れた弁護士の助けを得て1961年に再審請求を起こすことになるのだが、当然、これが認められて大逆事件の受刑者たちの冤罪が晴らされるものと思いきや、東京高裁はこれを棄却。その後、最高裁に対する特別抗告も全員一致で棄却されてしまい、法律的な救済の道は完全に閉ざされてしまう。

要するに、社会的には政府によるでっちあげであることが定説とされている大逆事件の受刑者たちは現在においても法律的には有罪のままであり、旧憲法下で犯した過ちを新憲法下でも追認してしまったという事実に吃驚仰天。う〜ん、とてもじゃないがこんな司法に共謀罪の悪用防止を期待する訳にはいかないなあ。

ちなみに、石川啄木の「A Letter from Prison」の中で幸徳秋水は“無政府主義者ほど平和を好むものはない”と繰り返し主張しているのだが、軍拡路線にあった当時の政府にしてみれば彼のこの反戦主義こそが邪魔ものだった訳であり、共謀罪が認められてしまえば平和を願う我々の言動もいつか彼の二の舞にされてしまうのじゃないかと本気で心配になってしまった。

ということで、2010年に出版された本書のラストでは、地方レベルで進められている大逆事件の受刑者たちの名誉回復の状況を報告することによって将来への希望を表明しているのだが、現在における歴史修正主義者たちの振る舞いを見ているとそんなささやかな希望も今や風前の灯火。彼等の手に掛かればアッと言う間に現在の定説は覆されてしまい、“最高裁が否定していないんだから大逆事件は事実だったに違いない”ということにされてしまうのではないでしょうか。