昭和史発掘12

松本清張のノンフィクション作品「昭和史発掘」の続き。

この巻に収められているのは、二・二六事件に関与した将校、下士官兵、民間人を裁くため、緊急勅令で東京臨時陸軍軍法会議が設置されるまでの経緯、背景等を描いた「特設軍法会議」と、そこで審理に携わる人々の頭を悩ませることになった様々な問題点を詳しく解説する「秘密審理」の2編。

軍事クーデターという前代未聞の不祥事をしでかしたということで、「本来ならば軍部が謹慎し、政党がこれを追求しなければならないのに、事実は逆」であり、「陸軍は二・二六事件を脅迫の道具として政治に介入し、実質的には内閣を軍事内閣化しようとした」。新首相には外相の広田弘毅が指名されるが、軍部がそれに賛成したのは彼を「ロボットにするつもり」だったからに過ぎず、彼に対する著者の評価も極めて低い。

一方、寺内寿一新陸相は「3月20日附で事件の責任者の処分を含める大異動を行」い、皇道派や清軍派を一掃してしまったため「寺内には邪魔する者が一人もいなくなっ」てしまう。そんな彼の「背後にいて陸軍の政治介入の姿勢を推しすすめ」たのが梅津美治郎武藤章石原莞爾、鈴木貞一の4人であり、「陸軍のこの新しい主流派を世に『新統制派』と呼んだ。その性格から政治をも軍が統制しようというもので、政治の奪取」であった。

また、このときに「陸海軍大臣の現役制」が復活され、その直接の狙いは予備役に退いた「真崎、荒木ら皇道派の再起防止」にあった訳だが、これがその後、「軍閥専横の最大の武器」として悪用されることになってしまったというのは記憶に止めておいた方が良いだろう。

さて、「何も知らない兵士を連れ出し、4日間も帝都の中枢部を占領し、軍隊間の相撃直前まで至った」上に、自決もせずに「大部分はオメオメと刑務所に収容」されたということで、叛乱将校や軍部に対する世間の非難は厳しく、相沢裁判のときのような法廷闘争になることを恐れた陸軍当局は「非公開、非弁護、非上告」の特設軍法会議の設置を選択する。

本来、「特設軍法会議とは戦時事変又は交通遮断した戒厳地区」に設置されるものであり、これを「戒厳令下といっても3月に入ってからは…治安も回復し、平静になっている」国内に適用するのは無理筋だが、「中国侵略の準備を着々とすすめていた」陸軍当局はなるべく早く裁判を終らせたかったために(最早不要になった?)戒厳令を続行することによってそれを強行。「それでは、はじめから公正な審理があったとは思えなくなる」というのが著者の感想である。

こうして開かれることになった軍法会議には、北や西田らの民間人の他、「自分と此の度の事件とは全然関係はない。青年将校等が勝手に思い違いをして蹶起したのだ」と主張していた真崎大将も「叛乱の教唆と幇助」の罪で身柄を送致されてくるが、そこでの審理内容を詳しく取り扱っているのが次の「秘密審理」。

残念ながら、敗戦時に焼却されてしまったため、現存しているのは「ガリ版刷りの判決書」(=副本)だけで、「予審調書も法廷の審理記録も一切地上から姿を消して」しまっているのだが、「『昭和維新発顕』のため『君側の奸を除く』主旨」に自信と誇りを抱いている青年「将校は、すべて自己の行動を認め、責任のがれをした者はいなかった」ため、「事件審理は極めて円滑にすすんだ」らしい。

最大の問題点は、決行将校の命令によって参加した約1,400名の下士官兵の取扱いであるが、「命令・服従の絶対的秩序で構成されている軍隊の崩壊」を回避するため、「今次事件ニ於イテモ上官ノ命令ナリト信ジ、唯之ニ服従シタル者ノ行動ハ何等刑事上ノ責任ナキモノト認ム」というのが、判決に大きな影響力を持っていた陸軍省の基本的スタンス。(ただし、「軍隊における犯罪行為の命令服従を無罪とするのはドイツと日本だけで、英、仏、米は『有罪』としている」らしい。)

次の問題は、叛乱の始まりを「営門を出た時から」とする軍法会議の判断についてであり、一時的にせよ「決行部隊を『左翼団体』に備える警備部隊」に編入させたことをはじめ、「事件経過中の公式命令が矛盾撞着だらけ」だったために、磯部からの「国賊皇軍の中に勝手に入れたのは誰ですか」という嘲りを含んだ問いに対し、満足に答えることが出来ない。

もっとも、これに関しては「軍法会議は訴訟物体の範囲を超えて審判することができない」という「不告不理」の原則が存在していたらしく、「この事件において、陸軍省に都合の悪いことが公訴の実体から除かれていれば、不告不理の原則によって軍法会議の審判は除外された部分を追求できな」かったそうである。

また、「犯行ノ原因」の一つに挙げられている「『日本改造法案大綱ノ感化』というのは最も重要で、これが東京陸軍軍法会議の最大の狙いの一つ」。要するに、陸軍当局は「あくまでも軍の内部の者が叛乱を自主的に行ったのではなく、すべて外部民間人による謀略的指導であるとして、軍の『純潔』を保とうとしている」のであり、いよいよ次巻ではそんな彼らに対する「判決」の内容が明らかになる予定である。

ということで、「特設軍法会議」の最後の部分では二・二六事件と直接関係のない「島津ハル事件」が取り上げられているのだが、それは著者の絶筆である「神々の乱心」のヒントにもなったという怪事件。前世に因縁のある現天皇は「早晩御崩御は免れず」、その後継者たるべきは「南朝の正統故有栖川宮殿下の霊統を嗣ぐ高松宮殿下なり」というのが彼女が不敬罪に問われた内容らしいのだが、著者はそこから「天皇家の血で血を洗う争闘」の可能性を嗅ぎ取っていたみたいです。