昭和史発掘8

松本清張のノンフィクション作品「昭和史発掘」の続き。

この巻に収められているのは、前巻で取り上げられていた相沢事件を巡る皇道派の法廷闘争の様子を描いた「相沢公判」と、二・二六事件の主犯である青年将校たちに大きな影響を与えたとされる北一輝らの思想や行動を詳しく解説した「北、西田と青年将校運動」の二編。

まず、「相沢公判」であるが、「永田の策謀は百害あって一利なく、…相沢中佐によって刺されたのは以て瞑すべきである。中佐の今回のことは巷説を盲信したためと発表した陸軍省の態度は武人を侮辱するものであって心外に堪えない」というのが、この事件に対する皇道派青年将校の見解であり、彼らの一部は「相沢の行動は、統帥権干犯を正すための独断専行であった」という主張を根拠に活発な法廷闘争を展開する。

幸い(?)、裁判官も検事も皇道派系で占められていたため、昭和11年1月28日に開始された公判は「皇道派ペース」で進められていくのだが、彼らの狙いは「林の統帥権干犯(=真崎教育総監罷免問題)や統制派の国軍壟断(=陸軍士官学校事件)を法廷で暴露し、これを宣伝し、一挙に現中央部にゆさぶりをかけよう」というものであり、近衛師団長の橋本虎之助中将や前陸軍大臣林銑十郎大将といった大物を次々に証人として召喚。

しかし、(ここから先は一部次章に記述されているのだが)その橋本証言が非公開という扱いになってしまったことによって「俄かにその形勢が逆転し」、最後の切り札だった真崎前教育総監の証言公開(=おそらくここで統制派の不正を天下に訴えさせる予定だったのだろう。)が困難になってしまう。

「こうした『合法派』の闘争の限界を嗤うように」傍観していたのが、「青年将校の急進派中の急進」であり、「同志の間ですら『危険人物』視され」ていた栗原安秀中尉の率いる一派。彼らの動向は憲兵によって厳しくマークされていたのだが、「憲兵司令部にも憲兵隊にも、秦、持永時代の側近皇道派がそのまま残っていた」こともあって二・二六事件を事前に察知することが出来なかった。

次の「北、西田と青年将校運動」では、最初に「公判主義(合法)で青年将校の早急な実力行使を排斥していた」とされる「西田、渋川、亀川(満井と鵜沢は弁護人)ら『民間人』」と、「非合法行使第一主義で、公判には無関心に近かった」とされる「栗原、中橋、河野らの『急進派』青年将校」との対立を紹介。

「いくら相沢裁判で現状の腐敗を暴露しても、国民の意識は自ら改革を求めるだけの積極さにはなってこない」と憂慮する後者は、彼らの多くが所属する「第一師団が11年3月ごろに満州に移駐する」という情報を入手して「11年3月…以前というデッド・ライン」を設定。「軍中央部が青年将校対策として打った第一師団の満州移駐策は、かえって青年将校に実力行使の時期を早めさせた」というのは、何とも皮肉な結果である。

そんな彼らの思想的背景には「独占資本的な財閥が私利私欲を追求するためにこうした社会的な欠陥(=低賃金や労働時間の延長、農村の疲弊等)を招いたとし、それには政党が、これらの財閥の援助をうけて庇護し日本の国防を危うくする政策を行っているからだ」という認識があり、「その思想は一種の国家社会主義にも似ているが、天皇に絶対的権力(大権)をすすんで認めているところが日本的右翼思想との結合である」とされる。

正直、彼らの問題意識には共感したくなるところも少なくないのだが、彼らの信奉する「神権的天皇制が、青年将校らの攻撃する重臣層、それに支持される内閣と政党、資本主義経済などの体制に十重二十重と囲繞されていなければ存続」しえないという著者の指摘はおそらく真実であり、そのことを「天皇は感得していた」というのだから何とも救われない。

さて、それに続いて北一輝の思想や行動の詳細が紹介されているのだが、「天皇の大権によって資本主義機構廃止の国家政治を行い、その改造実行委員会には『在郷軍人団会議』が当たる」というのが北の「日本改造法案」の要約。ちなみに「在郷」という字句を挿入したのは「あまりに露骨すぎる」からで、「北の真意は現役の軍人団会議にあった」らしい。

これに対して著者は「破壊の段階ではそれでいい。あとにくる建設の場合、在郷軍人会議に渡した絶大な権力は独裁を発揮する。…ここに軍部独裁の国家が出現する」と厳しく批判しているのだが、おそらくここで例示されているヒットラームッソリーニのみならず、スターリンのことも著者の念頭にあったに違いない。

また、「北をはじめ右翼の思想家は、『天皇大権ノ下ニ』という天皇絶対主義を唱えたが、天皇を包む核の構成を崩壊しては天皇制そのものの崩壊にひとしい」という批判は前述の青年将校に対するのと同じだが、「もし、北がそれを知っていて知らぬ顔で『日本改造法案』を右翼活動家に与えたとすれば、北の意図には軍ファッショからくる天皇制崩壊の革命の狙いがあったことになる」という推理は大変面白く、「中国革命を眼のあたりにみてきた北の心底にこの意図がまるきりなかったとはいえない」らしい。

いずれにしても、三井財閥青年将校等の情報を流して大金を受取っていた北や西田に対して違和感(=民間人に対する優越感を含む。)を抱いていた「青年将校運動は、重なる激論と曲折を経て、栗原、磯部らの先鋭分子を中核とするものにまとまりつつあ」り、「兵力をもたない民間人は、おのずから疎外されざるを得なかった」。

そのため、「磯部、栗原的急進運動は、も早、北や西田の意図を乗りこえたものとなって、西田はこれを抑えることができなくなった」訳であり、「従来、青年将校運動が北、西田を中心に進められてきたようにみられているが、実は両人と青年将校の結合はきわめてルーズなものであった」というのがここでの著者の結論になる。

ということで、林大将が相沢公判に出廷したのは2月17日のことであり、ようやく二・二六事件まであと数日というところまで迫ってきたのだが、全13巻の「昭和史発掘」において二・二六事件が勃発するのは10巻に入ってから。次巻はどんなテーマで読者の興味を繋ぎ止めようとするのでしょうか。