ナショナリズム

「その神話と論理」という副題が付された政治学者である橋川文三の本。

以前から気になっていた思想家の一人なのだが、先日読んだ中島岳志の「親鸞と日本主義」の中で度々言及されていたことが契機となり、ようやく読んでみる気になった。「昭和維新試論」(1984年)とどちらにしようかちょっと迷ったが、とりあえず発表順ということで、1968年に発表された本書を先に読むことにした。

さて、解説を書いている渡辺京二も言うとおり、本書は「標題に対して異様な構成になって」おり、「序章『ナショナリズムの理念』で、近代ナショナリズムの本質が、その語義・淵源も含めて全面的に考察されているのに対して、本文ともいうべき第一章・第二章は日本ナショナリズムの成立のみを扱っており、それも時代的には明治十年代の自由民権運動で終わっている」。

そんな「序章 ナショナリズムの理念-一つの謎」で紹介されているのは、「近代において、何がナショナリズムの大いなる流行をもたらしたのか? 私たちは本当にそれを知らない」というC.G.H.ヘイズの衝撃的な言葉であり、「おそらく、この問題に対する正しい解答は、或いは現代人の知力によっては、当面与えられないかもしれないのである」とされる。

そのような前提に立って近代ナショナリズムの本質が考察されているのだが、まず、取り上げられているのがナショナリズムの概念と混同されやすいという「パトリオティズム」。それは「人間の成長そのものとともに自然に形成されるより根源的な感情」であり、「『世論の力や、教育や、文学作品や新聞雑誌や、唱歌や、史跡や』を通して教えこまれる」ところのナショナリズムとは区別して考えなければならない。

しかし、「この両者の間には、一般に次のような微妙な共棲関係のあることが認められるはず」であり、「人間永遠の感情として非歴史的に実在するパトリオティズムは、ナショナリズムという特定の歴史的段階において形成された一定の政治的教義によって時として利用され、時としては排撃されるという関係におかれている」ことに留意する必要がある。

続いて「ナショナリズムの実践的形態をはじめて展開したのがフランス革命であり、直接にその理念を提示したのがルソーであったという通説」に従い、ルソーの問題が取り上げられるのだが、彼の「一般意志」とは「個人のエゴイズムと公共心との完全な一体化を象徴する理念」であり、カール・シュミットはそれを「主権者の意志であり、国家の一体性を形成するものである」と説く。

そして「一般意志と、個別的な個人的利害関心との間に現実の乖離が生じた場合」には、結局、「一般意志に背反するものへの強制の正当化」が必要になってしまい、「ルソーのいわゆるパトリオティスム(=ナショナリズム)が、個人の意志をこえたある普遍的・絶対的な意志への服従を意味している」という結論に導かれる。

すなわち、「教会を含めた中世的共同生活の様々な秩序が崩壊し、人間の善意という唯一のものしか、新たな共同秩序の形成原理として残されていないことに気づいた人間」が、「伝統的な神にかわる新たな神」として考案したのが一般意志であり、「その新しい教会に当たるものが従来の『キリストの共同体』にかわって、ネーションとよばれるものにほかならなかった」。

この章は、「それは一言でいえば、神を見失ったのち近代人の幸福はいかにして可能であるか? という発想であった。そして、その答えは絶対にあやまることのない『一般意志』、即ちほとんどホッブスの『リヴァイアサン』に似た強力な権威の創出とそれへの忠誠ということであった。ルソーは、近代人の卑小さをあのばら色の啓蒙期において予見していたのである」という美しい文章で締めくくられているのだが、確かに、三島由紀夫から「社会科学者で唯一の文体の保持者」と評されただけのことはある。

さて、続く「第一章 日本におけるネーションの探求」では日本ナショナリズムの黎明期について述べられており、「普通、日本人の前に、ネーションという未知の思想が浮かび上がってきたのは、19世紀の半ばごろ、いわゆる『西洋の衝撃』…がきっかけであったとされている。…この見解は、概括的に見るかぎり、ほとんど疑問の余地はないであろう」。

「しかし…それが果たして真のネーションの意識とよびうるものであったかどうかは、吟味を必要とするはずであ」り、「もしその『皇国』『神州』等々のシンボルが、たんに超藩的な統合を目ざしたというだけならば、それはただ封建支配の全国的な再編成をめざした新しい政策論にすぎないかもしれ」ず、「未だ本来のネーションの登場する余地は認められない」ことになる。

ここで著者は、「黒船のひきおこした衝激とそれへの反応形態」を、「封建諸侯とその家臣団」、「豪農・豪商の名で呼ばれる当時の中間層」、そして「一般民衆―とくに封建社会を実質的に支えていた農民層」の三層それぞれについて検討しているのだが、最初のグループの中で特に注目しているのが吉田松陰の存在。

「一般的に封建的支配者層が形成期のナショナリズムに対して敵意をもつか、冷淡であることは、歴史的にも、理論的にも明らかな事実とされている」そうであり、水戸学にも共通する「民衆不信=愚民観は、彼らのイデオロギーが伝統的な封建教学の枠をこえるものでなかったこと、そのいわゆる『神州』擁護の思想もまた、旧来の封建秩序の維持を眼目とするものにすぎなかったことを示している」。

そんな中で「水戸学の影響範囲から出ながら、ある新しい人間観と忠誠論の立場に到達し、そのことによって、日本人のネーションの意識に、かなり深刻な影響を与えることになった」のが松陰吉田寅次郎その人であり、「その忠誠対象が明確に具体的な天皇の人格に転位したということ、それが藩体制をこえたより一般的な忠誠心の対象として定位されたということは、のちのネーション形成のための突破口を開いたものではあった」。

著者は、女性や部落民に対して差別感を抱かず、当初「士大夫→君主→幕府の序列にしたがって規諫をつくすこと」によって尊王を達成できると信じていた彼の根底にあるのは「人間の善意に対する熱烈な信頼」であり、「日本人によって形成される政治社会の主権が天皇の一身に集中されるとき、他の一切の人間は無差別の『億兆』として一般化される。論理的には、もはや諸侯・士大夫・庶民の身分差はその先天的妥当性を失うこととなる」と述べている。

次の「豪農・豪商の名で呼ばれる当時の中間層」に関する考察において大きく取り上げられているのが「幕末国学の思想」の影響であり、「それは…時の政治体制への従順な服従の心得を説いたものにほかならなかった…にもかかわらず、この国学思想は、とくに幕末期においてかなり広範な政治作用をひきおこしている」。

その理由は、「本来歌学から出発して日本古代の研究へと展開した国学が…古代日本における政治と人間のあり方を一個のユートピアのように、人間の幸福の本来の姿を示すものとして描き出し、それを現実の封建社会に対置させるという意味をもっていたからであ」り、「ここにあらわれている政治的世界は、いわば治者と被治者の一体性が神意にしたがって自然に存在しているような世界であった」。

歌学において宣長の見出した「「『もののあわれ』という人情自然の姿…宣長の描いた古代日本の姿は、そうした『真情』によって動く人間たちが、さながらに調和を保っているような世界」であり、本来、そこでは「いかなる政体が善であり、いかなる政体が悪であるかという発想」は「私意をたてるから心」として存在を許されないものである。

そのような中で生まれた「平田神学の実践性は、前述のような神学を基礎とする現世的日本社会において、もっとも神々の心に近い存在―具体的には神々の後裔としての天皇の心に一体化しようとする衝動から生じている」ものであり、「天皇は、そうした儒教的天理もしくは『王道』思想によって崇拝されたのではなく、その実存そのものが神々の心のあらわれとして、そのまま帰依の対象とされた」らしい。

最後の「一般民衆」で著者が注目しているのは、奇兵隊をはじめとする「長州に組織されたより大規模な農兵隊」についてであるが、そこで「武士についで比率の高い農民出身兵…が果たして封建社会に対しどれだけ徹底した反対者であったか」というと、残念ながら「必ずしもあきらかでないというのが通説のようである」。

著者も「少なくとも『奇兵隊日記』その他の根本史料によって判断するかぎり、諸隊の内情を『革命軍』とみることはおろか、それを封建制度に対する根源的な反抗エネルギーをなんらかの形で組織したものとすることは到底主張しえないという印象が拭いがたい」と述べており、「そこには、決して自由で平等なネーションの意識があったとはいえない」。

「むしろかえって…そこからは実力・能力を価値基準とする新たな階層制への傾向が増幅されてあらわれて」おり、「ネーションは専らそうした『専制』に服従しつつ、自らまた専制の技術を身につけた特権者によって階層的に支配される集団の名となる」しかないという「その後の日本におけるネーション形成の固有の表現(=神島二郎の出世民主主義?)となったものにほかならな」かった。

本章の最後で著者は、「解体期にある封建的社会階層の内部から…新たな統合を求める志向が噴出しつつあったことはたしかであ」り、その収斂する先が「究極的には幕藩体制への忠誠をこえた『神州』『皇国』『天朝』『天皇』等々のシンボルであった」と述べているのだが、F.ハーツの「少なくともその進化途上の一時期に、自己の起源をとくに高貴なものと主張しなかった民族があるかどうかは疑わしい」という言葉のとおり、そうした「神国」思想自体はさして珍しい現象とはいえない。

「しかし…こうした人種中心的ナショナリズムは、古代以来の一般的形態であって、決してそのまま近代的ナショナリズムと同じものではない。それはいわば後者の形成に先立つ過渡的・媒介的な神話の作用をいとなむにとどまり、国民国家というより一般的なナショナリズムにおいて、本質的な意味をもつものではない」というのがこの章の結論になる。

さて、「第二章 国家と人間」では、そんな前章の結びを受けて「日本の近代的ナショナリズムは、ある意味では日本神国思想の巨大な挫折の上にきずかれたものにほかならなかった」というちょっとビックリするような指摘がされており、「そのことをもっともいち早く示しているのが、新政府のとった開国方針そのものに対する幻滅感であろう」。

「開国は日本人のすべてにとって、多かれ少なかれ巨大な挫折を意味していた。尊攘運動の志士にとっては…それは直接的な幻滅であり、一般民衆にとってもまた、そこにひきおこされた生活上の大変動は、それにいかにして対応していいかもわからないような急激なアノミイの展開であった」というのが著者の認識であり、当時の状況を物語る資料として島崎藤村の「夜明け前」が度々引用されている。

そして、当時の民衆の意識を表すものとして紹介されているのが、「国は政府の私有にして人民は国の食客のごとし」という福沢諭吉の言葉であり、「民衆がいまだネーションとしての意識をもつ以前に、すでに宗教的な畏敬の心をもって国家と政府を見るようになった」という福沢の観察を「その後凡そ三世代にわたる日本人の生き方を見とおしたものといえるかもしれない」と評価している。

このような立場からすれば明治維新は「少なくとも『ネーション』の基盤なしに行われた特異な『革命』であった」ということになり、「明治維新によってもたらされた事態は、国家がその必要のためにようやく国民を求めるにいたったということで、その逆ではなかった。それはいわば、国家がその権利の対象として(福沢のことばでいえば『政府の玩具』として!)国民を要求したことにほかならなかった」。

そんな維新の新権力者の「もっとも手ごわい問題は、この民衆をいかにして『国民』化するかということ」であり、それは「外国勢力の浸透からいかにして日本を防衛するかという課題と深く結びついたものであった」。「皮肉な言い方をするならば、住民の全部が喜んで国のために死ぬことのできるような、そうした体制をいかにしてつくり出すかが、板垣の『自由民権運動』の原理」であり、それに共通する思いが福沢にも存在した。

そして、「そのためにとられたのが、社会のタテの座標として旧社会における身分制の転換的利用であり(旧身分制の廃止と華・士族、平民制への再編成)、ヨコの座標として『家』制度の利用という方策であった」。後者に関しては、「家とネーションとは、本来あいいれることのない別個の原理によって形成された集団とみられる」のだが、「日本においては、ナショナリズムを支える中核となるものこそ家の中の家として、その理想型のようにさえ考えられた」。

ここで引用されているのが「要するに、明治民法家族法は、現実の家族秩序をそのまま維持することを目的とするのではなくて、むしろそれを、より権威主義的に変容すること、そうして、それをとおして絶対主義的“臣民”のパーソナリティをつくるための訓練機関をつくること、を目的としたと認められるのである」という川島武宜の考察であり、その際に利用されたのが「主君に対する忠誠義務の担当者であり、逆に封禄受給者でもある武士的家父長の権威主義的性格」。

「明治以前においては、国民の大多数の生活の中には存在しなかった家の理念が外から民衆生活の中にもちこまれ、そのような家を支配することをとおして、明治期のネーションが形成された」訳であり、「これらの操作をとおして、作り出された日本のネーションが、序章に引いたハーツの言葉のように、きわめて『人為的な』作品という意味をもつことはもはや多言を要しないであろう」。

そして、「本来あいいれることのない別個の原理によって形成された」国家と家との間の架橋として考案されたのが「最終的には日本国家を一大家族として擬制すること」であり、皇室や靖国神社といった「古代的神話と近世的伝統の諸要素が、近代的国家の機能に適応しうるネーション形成の契機として利用されたわけである」。

結局、本書の結論は「日本における国家形成が、いわば『上から』の啓蒙的専制によって指導され、民衆はむしろ強制的にナショナライズされた」のだということになり、「日本人は、今にいたるまで、かつて真に自らの『一般意志』を見出したことはなかったといえるかもしれない。…日本人の『一般意志』は、それ(=二・二六事件)以来いまだ宙に浮いたまま、敗戦後の一世代を迎えようとしているというべきかもしれない」という文章で幕を閉じる。

まあ、著者自身があとがきで「どこかで計画と目測を間違った」と言い、解説の渡辺が「著者にはいいたいことが多すぎる」と言っているとおり、様々な要素がごちゃ混ぜになっている印象は否めないものの、一方でとても興味深い指摘があちこちにちりばめられているのも本書の大きな魅力。その続編的な意味合いを持っているのかもしれない「昭和維新試論」もそのうち読んでみようと思う。

ということで、渡辺京二は「ナショナリズムは依然として近代が生んだ怪物であり続けている。グローバリズムによって国民国家の時代は終わったという今日はやりの言説が、とんでもない近視眼であるのは、やがて歴史が証明するだろう」と解説で指摘しているのだが、大は新自由主義から小はレイシズムに至るまで、ナショナリズムは依然猛威を振るっているところであり、その中和剤には一体何が有効なのでしょうか。