1789年−フランス革命序論

1939年に刊行されたジョルジュ・ルフェーヴルの古典的名著。

高橋幸八郎の序文によると、本書は「フランス革命150周年記念にあたって、1789年革命の経過、その構造と精神およびその世界史的意義をフランス国民大衆のために平易かつ明快に、具体的に生々と叙述したもの」であり、彼と一緒に翻訳を担当した柴田、遅塚両氏の解説では「フランス革命を、単純なブルジョワ革命としてではなく、アリストクラート・ブルジョワ・民衆・農民という四つの革命の複合体として把握する」ところにルフェーヴルの見解の特徴があるとしている。

その解説のとおり、本書の第一部から第四部までにはそれぞれ「アリストクラートの革命」、「ブルジョワの革命」、「民衆の革命」そして「農民の革命」という題名が付されており、アリストクラート階級が要求した「全国三部会」が引き金となって、あとはドミノ倒しのように革命へと突き進んでいく様子が分かりやすい文章で見事に描かれている。

まあ、アリストクラート階級にしてみれば、歴代国王によって剥奪されてきた自分たちの政治的権威を取り戻すことだけが目的だったのだが、「狩猟と錠前いじりに耽るほかはただ鯨飲馬食で…宮廷人の嘲笑の的であった」というルイ16世が安易に全国三部会の召集に応じてしまったために、それが民衆の「国民的再生、すなわち人々がより幸福となる新時代が到来するという、あざやかに輝くと同時にどこか焦点の定まらぬ希望を目ざめさせ」てしまい、結局はアリストクラート階級の特権廃止に帰着してしまうというのはなんとも皮肉な話である。

ルフェーヴルは、この4つの革命のうち「アリストクラートの革命」と「ブルジョワの革命」を法律革命、「民衆の革命」と「農民の革命」を社会革命と呼んで区別しているのだが、全国三部会やそれに続く「国民会議」に代表を送り込むことの出来なかった民衆や農民が暴動まがいの大衆運動に訴えざるを得なかったのは当然のことであり、結局、彼らの「大衆運動の圧力が、法律家たちの革命を支えてその成功をゆるぎないもの」とし、「農民層は自分で自分を解放した」訳である。

ちなみに、特に興味深かったのは次の二点であり、一つはルフェーヴルが「1789年の革命とは、なによりも、平等の獲得なのである」として、自由よりも平等の方に重点を置いて革命の意義を論じているところ。勿論、ブルジョアジーは「不運な人々の境遇の改善を要求するために平等が援用されたり、法的ないし市民的平等が社会的平等にまで転化されたりする」ことには消極的だったのだが、それにしても特権階級の廃止によって「国民的統一がついに実現された」のはとても意義のあることであった。

もう一つは、結果的にはフランス革命が「資本主義への道を開いた」ことを認めつつも、民衆の要求はあくまで「規制にもとづく旧い経済体制の再建」にあったことを明らかにしているところであり、やはり資本主義は生まれたときから民衆の敵だったんだなあ。本書に描かれている領主による農民の共同体的諸権利の侵害や野盗の恐怖に関しては、フーコーの「監獄の誕生」でも取り上げられていた。

ということで、1789年に焦点を絞って論じていることについては、フランス革命のおいしいところだけを切り取ったという批判も可能だろうが、本書がナチス・ドイツの恐怖にさらされたフランス国民に向けて書かれたものであることを考慮すれば十分に許容可能。「自由に生きることは奴隷として生きることよりもはるかに困難なのであり、人々があれほどしばしば自由を放棄するのもそれがためである」という文章に続く力強い結びの言葉はとても感動的でした。