ラスキン

中公クラシックスの一冊であり、ラスキンの「この最後の者にも」と「ごまとゆり」の2編が収められている。

久野収の「市民主義の立場から」に収録されていた「マハトマ・ガンディー ―もう一つの伝記―」という論文の中に「産業革命以後の資本主義、ヴィクトリア時代のイギリス資本主義に正面からそれぞれちがった仕方でたちむかったのは、周知のとおり、マルクスラスキンの二人であった」という文章があり、それに興味を持って本書を読んでみることにした。

ジョン・ラスキンは1819年に英国ロンドンで生まれており、ディケンズより7歳、マルクスよりも1歳年下になる。当初は美術評論から出発したらしいが、本書に「ターナー擁護者から先駆的なエコロジストへ ―ラスキンの生涯と作品」という解説文を寄せている富士川義之氏の説明によると「偉大な絵画であれ、建築であれ、文学であれ、それらの傑作を言葉で論じることによって、もうひとつの傑作を、つまり文学作品を創造することのできたイギリスで最初の偉大な批評家」であり、「こうしたテクスト読解法を、詩や絵画のみにとどまらず、建築や社会問題や経済思想等にもさらに広げてい」ったとのこと。

さて、最初の「この最後の者にも」には「ポリティカル・エコノミーの基本原理にかんする4論文」という副題が付いており、先程の富士川氏の分類によれば「経済思想」のジャンルに区分される作品。ここでラスキンは「『人間をたんに貪欲な機械』と考えて人間を物欲の権化と見るような、人間性についてのとらえ方が根本的に間違っていると考え」、古典経済学の原理を徹底的に批判している。

正直や寛大といった「社会的情愛」を「人間の本性のなかでは偶然的で攪乱的な要素である」として軽視し、もっぱら「貪欲と進歩への欲望」によって人間の経済活動を説明しようとする「普通の商業的経済論者」のやり方はラスキンにとって許し難い行為であり、「いかなる人間の行為も損得の比較によらず、正邪の比較によって左右されるべきであるというのが、人間を作った神の意志」であるというのが彼の議論の出発点。

また、「普通の意味で『富裕』となる術は…的確にいえば、それは『自分自身に都合の良いように最大限の不平等をつくりだす術』であ」り、「『最も安価な市場で買い、最も高価な市場で売れ』という商業上の教訓が、国民経済の有益な原理を代表している」ような「近世の観念ほど、歴史の記録のなかで人類の知性にとって恥ずべきものはない」と主張する。

ラスキンにとって正当な労働の報酬やものの価値は、労働力や商品の需給関係によって左右されてはならないものであり、「ほんものでない経済学と区別されなければならない真の経済学という学問は、生命に導くようなものを望み、かつ働くこと、また破滅に導くようなものを軽蔑し、破棄することを国民に教えるような学問」でなければならない。

そして、「経済学の究極の目的は、良い消費の方法と多量の消費を学びとること」であり、それによって国家の問題である「どれだけ多くの生をつくりだすか」(=ここで「生というのは、そのなかに愛の力、歓喜の力、賛美の力すべてを包含するものである。」)に寄与すること、「つまり、生なくして富は存在しない」というのが、本書の結論と言って良いだろう。

正直、ここまで読んだときの第一印象は、“ラスキンは経済学を誤解しているんじゃなかろうか”というものであり、解説で富士川氏が述べていた「その猪突猛進ぶりはほとんどドン・キホーテ的と呼んでもよい」という評価はこの印象にピッタリ。だいたい「正邪」とか「生」とかいうような曖昧かつ主観的な概念に拘泥し続けていたら、その後の経済学の発展はあり得なかったんじゃないのかなあ。

そして、何より一番気に食わなかったのは彼のエリート主義であり、何の根拠も示さずに「平等の不可能」を持ち出し、「わたくしの目的は…ある人々の他の人に対する…永遠の優越ということを示すこと、そしてまた、このような人々…に、そのすぐれた知識と賢明な意志に従って、かれらの下級の者を支配させ、指導させ、あるいはさらに必要に応じては強制圧迫させるように、かれらを選定することが得策であることを示すこと」と無邪気に主張するのを見て、思わずこの本を放り出しそうになった。

しかし、そんな2つの疑惑を解明(?)してくれたのが、次に収められている「ごまとゆり」という講演録であり、ラスキン自身「もし『この最後の者にも』と関連させて読んでいただけるなら、本書は、わたしがこれまで全生涯をつうじて提示しようと努めた主要な諸真理を包含することになる」とその序文で述べている。

さらに彼は「本書がまったく旧流派の書物」であり、「地位の上下の観念とともに、穏やかな権威としあわせな服従、相互の権利をめぐる争いのない富裕と貧乏…といった諸観念が前提とされている」、また「本書が主として上流、ないしは苦労のない中流の諸階級に属する若い人々のために書かれている」と正直に述べており、う~ん、彼にとって階級社会=エリート主義というのは疑う余地のない強固な現実だったんだなあ。

そんなラスキン保守主義は、女性の役割について語った「第二講 ゆり ―王妃の庭園について―」にもよく現われており、「女性は―人間についてこういうことばが許されるかぎりにおいてですが―そもそも過誤を犯しえない体の存在でなくてはならない」と理想化する一方で、知性や研鑽とは関係の薄い「無邪気さ」や「天賦の正義の本能…天賦の愛の才覚」を賞賛する。

「女の子の教育は、勉強のコース・教材の点では、だいたい男の子のばあいとおなじでないといけない」が、「一般的いえば、男性は自分の学ぶ語学なり学問を、徹底的に知らないといけませんが、女性のほうは、これとおなじ語学なり学問については、夫の喜びに…同感できるようになる程度にしっておればよろしい」とのことであり、その時代的な限界は明らか。

さらには「わたくしは、一定諸階級のイギリス青年層のために、一つの真実な騎士道制度が制定されたらよいとねがっている」とも書いており、おそらく彼が理想としていたのは動かしがたい階級社会を前提にした、いわゆる「ノブレス・オブリージュ」的思想に支配された社会だったのだろう。

そして、そんな善良な保守主義者の感じる強烈な“焦燥感”が滲み出ているのが「第一講 ごま ―王侯の宝庫について―」であり、読書の効用を具体的に説明した後、様々な社会悪が放置され、「金銭を愛することは、すべての悪の根である、という啓示を信ずるふりをしながら、同時に、…これ以外の愛によっては事実なんら動機づけられてはいない…と公言して、天とそのみ使いとを嘲弄する」ような現状を嘆いて、「このままではわれわれは、読書することなど断じてできません」と聴衆に訴える。

それに続くラスキンの社会批判、すなわち不正や邪悪が横行していることを知りながらそれを止めさせようとしない「上流、ないしは苦労のない中流の諸階級に属する」人々に対する怒り、失望感は、読んでいて思わず目頭が熱くなる程の熱量を帯びており、間違いなくそれが彼に「この最後の者にも」を書かせることになったのだろう。

作戦的に失敗だったのは、労働、交換、富といった古典経済学の概念にこだわりすぎたために、彼の議論の未熟さが目立ってしまった点であり、1860年に「この最後の者にも」を雑誌に連載したときに「大多数の読者によって、猛烈に攻撃された」というのも、おそらくそのせいだったのだろう。

しかし、「神の見えざる手」を過剰に信じてしまった結果が現在の超格差社会であり、それはラスキンが信じていたロマンチックな階級社会とは全くの別物。彼の経済学に関する議論の稚拙さは置いておくにしても、その問題意識、危機感が正しかったのは間違いないところであり、本書を読んでみる価値は今でも十分残っていると思う。

ということで、逃亡犯条例改正に端を発する香港市民の抗議活動は依然として予断を許さない状況が続いているが、かつての宗主国である英国が見て見ぬふりを決め込んでいるらしいのがとても残念。阿片戦争や米国の南北戦争への対応を批判していたラスキンが生きていたら、いったいどんなコメントを発表したのでしょうか。