セールスマン

2016年
監督 アスガー・ファルハディ 出演 シャハブ・ホセイニ、タラネ・アリドゥスティ
(あらすじ)
テヘラン在住のエマッド(シャハブ・ホセイニ)は高校で教師をしながら、妻のラナ(タラネ・アリドゥスティ)と一緒に小劇団の俳優として活動していた。そんなある日、引っ越してきて間もない自宅のアパートで、一人シャワーを浴びていたラナが何者かに暴行されるという事件が発生。彼女は大きなショックを受けるが、事件が公になることを恐れて警察に届け出ることを拒否してしまう…


イラン人のアスガー・ファルハディ監督が「別離(2011年)」に続き二度目のアカデミー外国語映画賞を獲得した作品。

実は、エマッドたちが越してきたアパートの前の住人というのが売春婦だったらしく、その客だった男が彼女の引越しを知らずにアパートを訪ねてきたというのが事件の発端。男はちゃんとドアのインターホンを鳴らしたのだが、ちょうどシャワーを浴びていたラナは夫が帰宅したのだと思ってよく確認もせずにドアを開けてしまう。

まあ、これがラナの“手落ち”ということになるのだが、性犯罪において被害者側の手落ちが特に厳しく追求されるという風潮はイランも日本も変わりないようであり、それを恐れた彼女は泣き寝入りを選択。う〜ん、こんなときって夫はいったいどんな行動を取るべきなんだろうか?

結局、本作のエマッド君はアパートに残された手掛かりから独力で犯人を捕らえることに成功するのだが、その正体は予想もしていなかった単なる老いぼれであり(=背後から襲われたラナは、犯人の容姿をきちんと確認していない。)、興奮するとすぐに心臓の発作を起こしてしまうので、たまりにたまった彼の怒りをぶつけることも出来ないんだよねえ。

おそらく、題名に使われた「セールスマン」というのはこの老人のことであり、ちょうどエマッドたちの劇団が上演中であったアーサー・ミラーの戯曲「セールスマンの死」の主人公ウィリィに由来する。エマッドが老人の家族に彼の犯した罪を知らせなかったのは、自らが演じているウィリィへの憐憫の情からだったのかもしれない。

ということで、我が国でもようやく強姦罪が強制性交等罪に改められ、非親告罪化されたところであるが、男性側の性犯罪に関する意識はそう簡単には変らない。ラナがエマッドの怒りに最後まで同調しないのは、それが“自分の所有物を傷つけられた”という男の身勝手な論理に由来することに気付いているからだと思います。