新ナポレオン奇譚

1904年に発表されたG.K.チェスタトンの処女長編小説。

正直、チェスタトンの代表作ともいうべき“ブラウン神父シリーズ”にはそれほどハマれずにいるのだが、その文章の端々から垣間見られる彼の哲学というか倫理観には妙に惹かれるところがあるのも事実。そんな訳で、ブラウン神父シリーズ以外の作品(=既読の傑作「木曜日だった男」を除く。)を読んでみようと思い立ち、さっそく手にしたのがこの作品。

さて、物語の舞台は、発表当時から80年後に当たる1984年のロンドンということになっているのだが、その頃のイギリスでは「人々が革命…(すなわち)積極的かつ神聖なものに対する信仰をまったく失っていた」ために「今から80年後、ロンドンは、ほとんど現在とそっくりそのままのロンドンであ」り、近未来小説的な雰囲気は極めて希薄である。

「支配階級が支配することを誰も気にとめなかった」せいで「民主主義は死に絶え」、「事務的な交替表にもとづいて選出され」た国王が支配するという事実上の「専制君主制」になってはいたものの、まあ、ロンドン市民は国王が「どのような方法で選ばれようと、誰が選ばれようと」気にもとめずに「泰平至極」の日々を送っていた。

そんな訳で、「冗談以外、なにも興味のない」オーベロン・クウィンが新国王に選ばれ、「古き中世都市の誇りを復活される」ためにロンドンの各自治区に城壁を築かせ、衛兵を持たせるという内容の「自由市憲章」を発布したときも、まあ、ちょっとはた迷惑な悪ふざけくらいにしか思われなかった。

しかし、その自由市憲章を真面目に受け取ってしまった人物が現れたものだから、国王自身も吃驚仰天。その人物こそ若きノッティング・ヒル市長(=やはり順番制で指名される。)のアダム・ウェインであり、愛する郷土の景観を大規模な都市開発計画から守るため、ノース・ケンジントン、ウェスト・ケンジントン、サウス・ケンジントンベイズウォーターの各市に対して剣を手に戦いを挑む!

結果は、郷土愛に燃えるノッティング・ヒルの大勝利であり、同市が全ロンドンの統治権を独占することになるのだが、敵味方を問わずウェインによって火を付けられた郷土愛(=「われらは敵に郷土愛を教えたのだ!」)はとどまるところを知らず、その戦いから20年後、ノッティング・ヒルの暴政に抗して立ち上がった各市の市民たちの手によって“帝国”は最後の日を迎える…

以上が本書のあらすじであるが、偶然ではあるものの、先日読んだばかりの橋川文三の「ナショナリズム」に通じるテーマを取り扱っているところが面白い。例えば、「祖国を愛する者はいかなる状況のもとでも決して祖国の大きさを誇ることはなく、むしろ常にその小ささを誇らずにはいられない」というアダム・ウェインの祖国愛は、橋川の分類によればパトリオティズムであり、ナショナリズムとは一応区別して考えなければならない。

しかし、その影響力、特に「剣はさまざまなものを美しくする。今、剣は全世界をロマンチックに塗り変えてしまった」と言われる魔法の杖=剣を伴った場合におけるパトリオティズムの感染力は驚異的であり、ノッティング・ヒル市民ばかりか、ウェインを狂人扱いしていた各市の市民までも熱烈な愛国者へと変貌させてしまう。

そんな素朴な祖国愛がいつの間にか帝国化してしまい、他の各市の祖国愛を蹂躙するようになるというのは何とも皮肉な話だが、解題を書いているピーター・ミルワードによると、イングランドという「祖国」に首ったけだった少年時代のチェスタトンが、「(大英)帝国」と呼ばれる「曖昧でとりとめのないもの」に対して抱いた違和感が本書の執筆動機になっているそうであり、彼自身、パトリオティズムナショナリズムの違いについては相当頭を悩ませていたのだろう。

また、物語の最後のほうで、ウェインの亡霊がクウィンの亡霊に対して「喜びのない、暗い時代がくると、あなたや私のような純粋な風刺家や狂信者が必要とされます」と告げる場面があるのだが、それはまるでヒトラーの出現を予言したかのような言葉であり、「文学において失敗したおかげで、英国史上における驚異となった」というウェインの生い立ちも、画家を目指して挫折したヒトラーにそっくり。

そして、さらに悲惨なのは、この「喜びのない、暗い時代」という条件が今のわが国の状況にもある程度当てはまってしまうことであり、う~ん、ひょっとすると安倍晋三という人物には、文学や芸術的素養の欠如等極めて低いレベルではあるものの、アダム・ウェイン的資質が備わっているのかもしれないなあ。

ということで、ミルワードは「いにしえの巨人に対するジャックの戦い、巨大なものに対する卑小なものの戦いの倫理」、「富者に対し貧者を、強者に対して弱者を、そしてまた異常なものに対して尋常なものを守る防衛」といった言葉を用いてチェスタトンの哲学を紹介しているのだが、多くの読者が彼の作品に惹かれる理由もおそらくそこにあるんだろう。次は彼の小説以外の著作を読んでみようと思います。