水滸伝(三)

四大奇書あるいは五大小説の一翼を担う」中国古典長編小説の三巻目。

前巻の終盤になって、ようやく宋江梁山泊の実質的なリーダーの地位に収まった訳であるが、それにより本作のテーマ(=宋江を中心とする梁山泊の興亡)が明確になったことの効果は絶大であり、正直、この巻でのストーリーはこれまでとは比べものにならないくらいの盛り上がりを見せている。

特に、祝氏三傑を擁する祝家荘、妖術使いの高廉率いる飛天神兵、そして連環馬を操る〈双鞭〉呼延灼の朝廷軍といった具合に、次から次へと襲いかかってくる強敵たちとの大規模な戦闘シーンはもう息もつかせぬ程の迫力であり、おそらく昔の人々は、今の我々がアベンジャーズの映像に魅了されるのと同じような気持ちで、この英雄譚を物語る講釈師の声に聞き入っていたのではなかろうか。

そんな強敵たちの前に、我らが宋江は何度も絶体絶命のピンチに陥ってしまうのだが、そんな彼を窮地から救い出してくれるのは、彼の“義理を重んじて財を軽んじる”という人柄に惚れた多彩な好漢たちであり、最初は敵対していた好漢たちでさえ、宋江の優れた人柄に接すると自ら進んで梁山泊のメンバーに加わろうという気持ちになってしまう。

その結果、これまで別々に行動していた二龍山の魯智深楊志、武松、桃花山の李忠、白虎山の孔兄弟、そして少崋山の史進らが合流したこともあって、本巻最後の第六十回が終了した時点における梁山泊に集結した好漢の数は合計88人(=これまで名前が挙がっていながらまだ仲間入りしていない好漢は、索超と盧俊義の二人だけ)。ゴールの108人まであと20人を残すばかりとなった。

正直、中には屋敷に放火された李応、子守を任された上司の幼子を惨殺された朱仝、家宝を盗まれた徐寧といった具合に、“山賊”の一味に加わることをためらう好漢をむりやり仲間に引き入れた例も少なくないのだが、まあ、そんな小さいこと(?)を気にしていられないのが水滸伝の世界。

高潔な人物とされる宋江にしても、彼の身内(=父親+晁蓋+108人の好漢)以外の者の生死に関してはかなり無頓着なようであり、自らの失策によって頭領以外の部下を大勢死なせてしまってもあまり気にした様子は見せない。う~ん、縁故主義が大衆に受け入れられやすいのは、今も昔も変わりないらしい。

ということで、晁蓋の死去によって宋江が名実ともにトップの座に君臨したことにより、梁山泊は着実に完成形への道を歩んでいるのだが、「朝廷に招安(朝廷に帰順し無罪放免とされること)され、そのうちみな役人になるのをまっている」という彼の保守的とも言えるスタンスにまだ変化の兆しは見られない。おそらく次の巻では好漢108人全員の集結が完了すると思うので、それ以後における宋江の心境の変化に注目していきたいと思います。