敦煌

井上靖が1959 年に発表した長編作品。彼の“西域小説”の代表作らしい。

“リタイアしてから読む作家”シリーズの第4弾ということになるのだが、意外にテーマが多彩であり、どこから手を付けて良いのか分からない。山歩きからの繋がりで「氷壁」にしようかとも思ったが、後が続かなそうなところが不安であり、とりあえず“西域小説”シリーズから読み始めてみることにした。

さて、ストーリーは中国の北宋時代が舞台になっており、ひょんなことから西夏文字の魅力に取り憑かれた趙行徳という青年が主人公。彼はそれを学ぶために一人西域に旅立つのだが、運悪く西夏軍に捕らえられ、その前衛部隊(=漢民族による外人部隊みたいなもの)に配属されてしまう。

その後は、回鶻の王族の娘と恋に落ちたり、その娘のことを忘れて仏教にのめり込んだり、クーデターに参加したり、厖大な経典を戦火から守ったりと、正に波瀾万丈の人生を送ることになるのだが、それを描く著者の筆致はいたって冷静であり、淡々とした表現がストーリーの荒唐無稽さを上手く中和してくれている。

実を言うと、本作は1900年に敦煌の石窟の中から大量の経典が発見されたという史実をモチーフにしており、下手をすると“敦煌文献の謎を解き明かす!”みたいな興味本位の内容になっていた可能性も十分あったように思うが、この冷静さのおかげで品格のある見事な歴史小説に仕上げられている。

一方、少々意外だったのは、西域の壮大な自然や建造物に対する感動といったものが読んでいてあまり伝わってこないところ。特に敦煌仏教美術を初めて目にした主人公の興奮が描かれていないのはむしろ不自然であり、ちょっと冷静さが過ぎるような気がする。ひょっとしたら、この作品を書いた時点において、著者は実際に西域を訪れたことが無かったのかもしれないなあ。

ということで、なかなか面白い作品であり、気軽に読み進むことが出来るので老人の読書にはピッタリ。引き続き“西域小説”シリーズの作品を読んでみようと思うが、今夏の家族旅行の行き先は上高地なので、先に「氷壁」に手を出してしまうかもしれません。