スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け

今日は、妻&娘と一緒に「スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け」を見てきた。

シリーズ第一作目の「スター・ウォーズ(1977年)」以来、実に42年ぶりとなる完結編の公開ということで、一月くらい前から“本作を見るまでは死んでも死に切れない”と本気で考えていたのはここだけの秘密。たまたま車の運転は妻が担当していたのだが、途中、交通事故にだけは巻き込まれませんようにと一心に念じながら映画館へ向かう。

さて、本作を見る前の主な関心事は2つあり、一つはいまだ明らかにされていないレイの出生の秘密。そして、もう一つは前作でファースト・オーダーの最高指導者に君臨したカイロ・レンの(悪い意味での)大活躍だったのだが、お馴染みのオープニング・クロールで皇帝パルパティーンの復活が明らかになってしまい、後者については早くも暗雲が漂い始める…

結局、ラスボスになるのはやはりパルパティーンの方であり、ソロとスノークという二人の父親殺しを経験しているにもかかわらず、カイロ・レンは最後まで“ダース・レン”にはなれなかった。まあ、おそらくその中途半端さ、優柔不断さこそが彼の美点であり、同時にパルパティーンが自分の後継者に彼を選ばなかった理由でもあるのだろう。

一方、レイがパルパティーンの孫だというのは全く予想外の展開であり、う~ん、そう来たかっていう印象。確かに、ルークがダース・ベイダーの息子だっていう秘密が明かされるときにも手掛かりや伏線のようなものは無かったし、これがスター・ウォーズ流なのかもしれないが、今回、“No. I am your father”の台詞を聞いたときのような衝撃を受けなかったのも事実。やはり、パルパティーンの復活はちょっと唐突すぎたのではなかろうか。

しかし、スカイウォーカー家の血を受け継いだカイロ・レンが倒れ、一族とは全く血縁関係のないレイがスカイウォーカーを名乗るというラストには大賛成であり、それを見て俺のミドルネームも今日からスカイウォーカーにしようと密かに決意。おそらくフォースというのは良心とか正義感のようなものであり、それを大切にしようとする人間は誰でもスカイウォーカーを名乗る資格があるのだと思う。

まあ、シナリオ的に言えば、エピソード4~6への郷愁を大事にしようとする保守派のJ.J.エイブラムスが、改革派のライアン・ジョンソンによる新路線を強引に軌道修正したっていうところなのだろうが、とりあえず9作、42年に及ぶ大長編にケリを付けたというのは大きな功績であり、そういったゴタゴタもいつしかこのシリーズの貴重な財産になっていくのだろう。

ということで、2022年12月16日には新三部作の第一作目が公開される予定であり、まあ、それくらいまでなら何とか生き長らえることも出来るだろう。それ以外にも、例えば本作に登場したジャナに関わるストームトルーパーの集団脱走エピソード等、スピンオフのネタは豊富であり、上手く映画化すれば「ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー(2016年)」並みの名作になるかもしれません。