大正天皇

原武史が2000年に発表した作品であり、大正天皇の47年間の短い生涯が詳しく紹介されている。

松本清張の「昭和史発掘」を読み終えたときに“もう少し天皇制の勉強をしてみよう”と思ったのだが、その手はじめに読んでみたのがこの本。本作の序章でも述べられているとおり、我々が日常生活の中で大正天皇に関する情報に接する機会はほぼ皆無なのだが、それにもかかわらず、彼に対しては何やら心身ともに障害を抱えた“出来損ない”的なイメージを漠然と抱いていた。

さて、大正天皇が病弱な青少年期を過したことは本書の第2章でも詳しく紹介されており、満1歳のときに発症した脳膜炎をはじめ、百日咳や腸チフスといった「病気による学習の遅れは否定すべくもな」く、結局、学習院の「中等科の一年を修了した時点で中退を余儀なくされ」てしまう。

その後の「個人授業」の成果も良好とはいかず、「病気による教育の遅れ→それを取り戻すための『詰め込み教育』→皇太子の健康の悪化→教育の遅れという悪循環」が繰り返されるが、彼が17歳のときに「皇太子より17歳年上の朋友」に抜擢された有栖川宮による「詰め込み教育」の是正や20歳のときの九条節子(のちの貞明皇后)との結婚の影響により、「あれだけ病気を繰り返していた皇太子の健康が…明らかに回復に向かってゆく」。

第3章以下では、当初、有栖川宮の発案であった「長期的な地方巡啓」を、「一般の日常生活に触れ、人々と言葉を交わすことのできる唯一の機会」として楽しそうに消化していく皇太子の姿が生き生きと描かれているのだが、彼の気まぐれ(=あるいは「巧妙な戦略」?)による突然の予定変更や宿泊場所からのエスケープ等もかなり許容されていたらしく、「もはやかつての病弱なイメージは、どこにもなかった」。

そんな彼の姿を著者は「確かに明宮=皇太子は、病弱のために学業の発達が遅れたが、それは決して、人間としての感情までが未熟であったことを意味しなかった」と評しているのだが、そこで紹介されている彼の言動は成人男性としては幼すぎる内容であり、少なくともその知的能力は“平均以上”ではなかったような気がする。(まあ、明治以降の歴代天皇の“生の声”を聞いたことがないので、彼らとの比較は困難なのだが…)

さて、ここでもう一つ著者が強く主張しているのは、厳格で近づきがたい明治天皇とは好対照をなす皇太子の人間的かつ開放的な親しみやすいイメージ。「御真影」(=キヨッソーネの肖像画を写したフィクション)しか公開されなかった明治天皇とは異なり、皇太子の巡啓は写真入りで大々的報道されたそうであり、各地で「皇太子を迎えたいという県民の熱望は…抑えがたいものになっていた」らしい。

しかし、そんな幸せな日々も明治天皇崩御とともに幕を閉じてしまい、32歳で即位した彼の健康を天皇としての激務が徐々に蝕んでいく。「自らの意思に反して明治天皇と同じスタイルをとらされていることも多かった」ようであり、あれほど「儀礼の簡素化や日程短縮を望んでいた」にもかかわらず、即位大礼は柳田圀男をして「今回ノ大嘗祭ノ如ク莫大ノ経費ト労力ヲ給与セラレシコトハ全ク前代未聞ノコト」と言わせるほどのお祭り騒ぎになってしまう。

結局、40歳の頃に「御脳の方に何か御病気あるに非らずや」という状況に陥り、42歳のときには裕仁皇太子が摂政に就任。「大正天皇の病気が公表され、天皇は脳を患っているという風説が広がった以上、もはや天皇が、かつての明治天皇のように、国民の視線から遮断されたところで、『神』として崇拝されることはあり得なかった。政府の戦略は、裕仁皇太子という新しい皇室シンボルを、観念的で見えない『現人神』ではなく、逆にその表情や肉声までが万民のもとにさらされる、見える『人間』にすることにあった」という文章は本書の肝の一つと言って良いだろう。

永井荷風が、大正天皇の最期の様子を報じる当時の新聞記事を「日々飲食物の分量及排泄物の如何を記述して毫も憚る所なし」と批判しているのは、昭和天皇崩御の際のマスコミ報道を想起させるものであり、新聞記者としてそれに立ち会ったという著者の「戦後の象徴天皇制の本質的部分は近代天皇制と変わらず、近代天皇制は決して過去の遺物ではない」という感想はとても重要。

正直、著者の主張のように「(大正)天皇は自らの意思に反して、牧野をはじめとする宮内官僚によって強制的に『押し込め』られた」とまで言えるかどうかは疑問だが、「皇太子と万単位の『臣民』が、旗行列や分列式、万歳、奉迎歌や君が代の斉唱などを媒介としてまさに一心同体となる光景を目のあたりにして、他国とは異なる『帝国日本』のアイデンティティーを感じとっている」という「『昭和』の光景」の無気味さには、心の底から同意するしかない。

終章で紹介されていた「国家と国民生活の一体性から疎外された不遇・無力な一日本人が、自己の生活の意味を究極的な統合シンボルとしての天皇との一体化に求めようとする」ところの「下からの新しいナショナリズム」が、天皇を「変革のシンボル」へと転換させるという橋川文三の分析は、松本清張の描いた2.26事件の本質を見事に言い当てており、それは形を変えて最近の愛国ブームにも繋がっているのかもしれない。

ということで、前代未聞の即位大礼をはじめ、神前結婚式やナショナルシンボルとしての桜のイメージ、さらには日の丸、君が代に至るまで、近代天皇制を支えるために創造された“新たな伝統”は今なお現役であり、今年の10月22日の「即位礼正殿の儀」の際にもそれらがフル活用されるのだろう。憂鬱なことではあるが、とりあえずそれまでに同じ著者による「昭和天皇」を読んでおこうと思います。