奥のほそ道

オーストラリア人作家のリチャード・フラナガンブッカー賞を受賞した長編小説。

正直、新しい小説は何を読んだら良いのか見当がつかない状況が続いているのだが、本作の高評価を耳にして読んでみることにした。本書の原題である「The Narrow Road to the Deep North」は松尾芭蕉の「おくのほそ道」の英訳とのことであるが、実際は“わびさび”の世界からはほど遠い相当強烈な内容であった。

さて、ストーリーは、軍医として太平洋戦争に従軍した主人公ドリゴ・エヴァンスの戦前・戦中・戦後における体験が軸になっているのだが、中でも強烈な印象を残すのが戦時中のエピソード。彼は日本軍の捕虜として“Death Railway”の名で知られるあの泰緬鉄道の敷設工事に従事することになる。

そこでの描写は、捕虜の一人として実際にその現場に居合わせたという著者の父親からの情報がベースになっているそうなのだが、正直、彼らの置かれた環境は読み進めるのが苦痛になるくらいの悲惨さであり、確かにこれに比べれば、デヴィッド・リーンの名作「戦場にかける橋(1957年)」なんて痛快娯楽映画に過ぎないと批判されても仕方がない。

勿論、オーストラリア人捕虜の側から見た日本軍の行為が100%正確という訳ではないのだろうが、毛布の折り目が反対だったからというような無意味な理由で捕虜を徹底的に虐待するのは如何にも“日本的”であり、残念ながら(?)読んでいて不自然さを感じる箇所はほとんど見当たらなかった。

まあ、本書にも記されているとおり、いくら悲惨なものであったとしても、そういった戦時中の記憶は(“もう戦争はイヤだ”というストレートな感覚とともに)日々忘れ去られてしまうものであり、後に残されるのは「自分は日本人一般のように、誤って非難されている高潔な善人なのだ」という加害者側の身勝手な“被害者意識”だけ。

本書には当時の虐待の事実を記録した元捕虜の手によるスケッチブックが出版されるといったエピソードも取り上げられており、それはそういった歴史修正主義的な風潮を防ぐためにとても有効なことなのだが、そんな意味からしても、現政権下において行われた公文書の破棄や改竄は許しがたい暴挙と言わざるを得ないのだろう。

その他にも、監視員という立場で日本軍の末端に属していた朝鮮人青年の悲劇や、遠藤周作の「海と毒薬」の題材にもなった九州大学生体解剖事件に関わるエピソード等々、内容は読み応え十分。ちょっと気になったのは、ある女性との悲恋に多くのページが費やされているため、戦後の主人公の鬱(?)の原因が捕虜体験にあるのか、それとも失恋のせいなのか曖昧になってしまった点であり、正直、両エピソードの関係がうまく理解できなかった。

ということで、「奥のほそ道」という題名に相応しく、作中では芭蕉や一茶らの俳句がいくつか紹介されているのだが、読んでいてつくづく思うのは、俳句には論理というものが徹底的に欠落しているんだなあ、ということ。首切り狂のコウタ大佐が芭蕉の句のパロディ(=「満州国にても満州国なつかしや首見れば」)を披露するシーンのおぞましさは、正直、鳥肌モノです。