木曜日だった男

「ブラウン神父シリーズ」で有名なギルバート・キース・チェスタトンの長編小説。

正体不明の議長“日曜日”が率いる無政府主義中央評議会に“木曜日”として潜り込んだ警察官ガブリエル・サイムの活躍を描いた冒険小説な訳であるが、“一つの悪夢”というサブタイトルが付いていることからも判るように、サイムの活躍はとっても異様な状況下で行われる。

例えば、足の悪い老無政府主義者に尾行されたサイムは、急に駆け出したり、市電に飛び乗ったりとあらゆる手をつくすのだが、何故かどう足掻いてもその尾行を振り切ることができない。そして、こういった“繰り返し”が次第にエスカレートしていき、終いには主人公を悪夢のような状況へと突き落としていくのだが、その後、突如として至極合理的な回答が提供され、彼は再び普通の世界へと舞い戻る・・・

この「繰り返し→エスカレート→悪夢→合理的な回答」というパターンが様々なレベルで巧みに使われていることが本書の最大の特徴であり、これがとても面白いのであるが、最後の大詰めである“日曜日”との対決においては、この“合理的な回答”の代わりにちょっと宗教的色彩の強い“啓示”のようなものが示される。

まあ、このラストについては様々な解釈が可能なんだろうが、丁寧な「訳者あとがき」を読んでみると、虚無感や不条理感といったロマンチックな感情に流されることを忌避し、最後まで理性的な態度に徹しようとしたチェスタトンの決意みたいなものが、そこから見えてくるような気がする。

ということで、幸いなことに(?)、俺は高名な「ブラウン神父シリーズ」をまだ一冊も読んだことがないので、この機会にそちらの方も一通り読んでみるつもり。しかし、こんな作品を書いた人の手になる本格的推理小説というのは、一体どんな内容なんでしょう?