沈黙 –サイレンス–

今日は、妻&娘と一緒にマーティン・スコセッシ監督の新作である「沈黙 –サイレンス–」を見てきた。

原作は昨年読んだばかりの遠藤周作の宗教小説であり、かなり深刻なテーマを引きずった作品ということで、家族を巻き添えにするのは如何なものかと躊躇っていたのだが、娘は本作でキチジローを演じている窪塚洋介に興味を持ったようであり、まあ、それならばということで映画館へ向かう。

さて、幾分省略されている部分はあるものの、ストーリーは原作小説にほぼ忠実であり、師であるフェレイラ神父の後を追ってキリスト教の布教のために江戸時代初期の日本にやってきた若きロドリゴ神父(アンドリュー・ガーフィールド)の苦悩を描いている。隠れキリシタンへの弾圧が前提のため、リアル過ぎる拷問シーンばかり見せられたらイヤだなあと思っていたが、まあ、恐れていたほどではなくてホッと一安心。

本作の最大のテーマである“神の沈黙”に関する感想は、小説を読んだときとそう変わらなかったのだが、重要なサブ・テーマの一つである“何故、日本にキリスト教が定着しなかったのか?”という点に関しては、「神道の成立」を読んだばかりということもあって今も頭の何処かに引っ掛かっている。

映画館から帰る車の中でも、“我が国は自然的条件に恵まれているため、彼岸的な神に対して救いを求める必要性が比較的低かったせいではないか”という思い付きを述べてみたのだが、残念ながら家族の反応はイマイチ。しかし、“拷問を受けそうになったらすぐに転ぶよね”という点に関しては、満場一致で承認された。

ということで、日本人の役には日本語を違和感なく話せる俳優さんをきちんと配しており、“日本映画”としても立派に成立しているのは本当にスゴいことだと思う。いや、仮にこの原作を今、我が国で再映画化するとして、本作以上の作品が作れるかというと、答えは絶望的なくらいNOであり、我が国の映画関係者は本作を見て猛省する必要があると思います。