10月のメモ

【10月の日常】
◯名画でたどる西洋絵画400年(10月30日)
県立美術館の企画展は一般庶民には敷居の高いものが多いのだが、今回はルノワールゴッホ等々、我々にも親しみのある画家の作品が多数含まれているということで数十年ぶりに家族で足を運んで見る。ちなみに娘は初訪問かもしれないとのこと。
展示は、風景や肖像画といったジャンルごとに年代順に並べられているため、ルネサンスからポスト印象派に至る描写手法の変化をひと目で理解できるところが有り難い。市立美術館との棲み分けといった問題もあるのだろうが、今後もこういった分かりやすい内容の展示を数多く企画して欲しい。
なお、帰りがけに美術館近くに開店した“QUON”というチョコレート専門店に寄り道。こちらが本命だったらしい娘は大喜びだったが、庶民としての俺の好みからすると味がちょっと複雑すぎるような気がした。


【10月に読んだ本】
空海(髙村薫)
作者の仏教に関する造詣の深さは「太陽を曳く馬」等の過去作からも十分承知していたが、本作は小説というスタイルから一歩抜け出した形で空海の実像に迫ろうとした異色作。特に、あくまでも論理にこだわろうとする最澄等の顕教に対し、論理を飛び越えた神秘体験を重視するところに空海密教の本質を見出すという視点は俺のような初学者にも理解しやすいものであり、とても面白かった。

◯機械としての王(ジャン・マリー・アポストリデス)
太陽王と呼ばれたルイ14世の治世を生き生きとした文章で綴った名著であるが、それ以上に、民主主義の真逆に位置すると考えていた彼の絶対主義王制が実は民主主義の鏡像というか、少なくともその形式的な礎となっていたという指摘に吃驚仰天。「18世紀になると、ブルジョワジーは想像的身体のもっとも重要な機関をどんどん占領してゆき、ついには国王の現実の身体をそこからはじき出してしまう。…人はもはや彼に近づくことはできない。ただ、彼のイメージを作り、コントロールする行政機構と接触を持つことができるだけである」という記述は、戦後の自民党政権が目指してきた象徴天皇制にもピッタリ当てはまってしまうのだろう。


【10月に見た映画】
◯007/ノー・タイム・トゥ・ダイ(2020年)
ダニエル・クレイグジェームズ・ボンドの最終作になる作品であり、う~ん、やっぱり最後はハッピーエンドにならなかったんだなあ。ラミ・マレック扮する敵役の年齢設定の曖昧さがやや気になったが、まあ、その点を除けば十分及第点は差し上げられるだろう。


【10月に歩いた山】
◯高原山で紅葉狩り?(10月24日)
大間々駐車場(8時4分)~大丸(8時48分)~ミツモチ(9時13分)~八海山神社(10時48分)~下山開始(11時9分)~大間々駐車場
持病の腰痛の再発により那須以北の紅葉の適期は逸してしまったが、何とか回復したので再始動。日光にも未練はあったが早起きを嫌う妻に遠慮して高原山を選択する。
紅葉狩りを目当てにこの山を歩くのは初めてのことであり、出たとこ勝負でミツモチ経由のルートを歩いてみたが、時期が早かった(?)せいか、ほとんどそれらしき景色は見当たらない。八海山神社のところから眺めた釈迦ヶ岳の裾野はそれなりに色付いていたが、赤味が足りないのが物足りない。
ちなみに、帰路、見慣れないラーメンの幟に導かれて「熊さんの村」なるお店に立ち寄ってみたが、道が狭いので車のすれ違いに四苦八苦。正直、そこまでして食べに行く味ではなかったと思う。

◯八丁出島を上から下から(10月31日)
歌ヶ浜駐車場(6時12分)~狸窪(6時49分)~半月峠(7時50分)~半月山展望台(8時21分)~半月峠(8時57分)~狸窪(9時47分)~八丁出島の途中(9時56分)~歌ヶ浜駐車場
先週の高原山が空振りだった故、やっぱり妻に早起きをお願いして日光へ向かう。午前6時頃に着いた歌ヶ浜駐車場は早くもほぼ満車状態だったが、幸い第2駐車場の方にはまだ空きがあった。
お目当ての紅葉の方もまだ見頃を保っており、思ったより人の少ない展望台から八丁島の景観を楽しむ。狸窪まで下山した後、戯れに八丁島に立ち寄ってみたが、当然、紅葉は中からより外から見たほうが美しい訳であり、途中で引き換えして早々に帰途につく。いろは坂からの紅葉もとてもきれいだった。