神々の明治維新

神仏分離廃仏毀釈”という副題が付けられた安丸良夫の本。

神社仏閣巡りはこれからの妻との“老後”に彩りを添える主要なイベントの一つなのだが、その際に気を付けなければならないのが明治初期に吹き荒れた神道国教主義化の影響であり、これを知らないでお参りすると、明治政府の指導者たちが仕組んだ「天皇を中心とするあたらしい民族国家への国民的忠誠心」を確保するための「イデオロギー的手段」に過ぎないものを無闇に有難がってしまう危険性が高い。

その予防策の一つとして手にしたのが本書であり、「神仏分離廃仏毀釈を通じて、日本人の精神史に根本的といってよいほどの大転換が生まれた」というのが本書における著者の主張。明治維新というクーデターによって権力を掌握した「岩倉や大久保がみずからの立場を権威づけ正当化するために利用できたのは、至高の権威=権力としての天皇を前面におしだすことだけ」であり、彼らは「神道復古の幻想に心を奪われた国学者神道家たち」による「神祇官再興や祭政一致の思想」を「神権的天皇制を基礎づけるためのイデオロギー」として利用しようと考えた。

しかし、当時、社僧など僧侶身分の者に対して根強いコンプレックを抱いていた神道家たちと冷徹な新政府の首脳との間には、廃仏毀釈に対する“情熱”において相当の格差があったようであり、あくまで穏便に事を進めたいと考えていた後者は、前者に対して「粗暴なノ振舞等」を厳に慎むよう布告する。

また、真宗僧侶たちの根強い抵抗の成果もあり、強力な廃仏毀釈が行われたのは「隠岐佐渡薩摩藩土佐藩、苗木藩、富山藩、松本藩など」の一部の藩や地方に限られた。しかし、「記紀神話などに記された神々と、皇統につらなる人々と、国家に功績のある人々を国家的に祭祀し」ようとする国体神学の思想は、「それ以外の多様な神仏を祀るに値しない俗信・淫祀として斥けた」という点で日本人の神観に「決定的な転換」をもたらした。

一方、明治政府による「伊勢神宮と皇居の神殿を頂点とするあらたな祭祀体系」構築の真の狙いは、「あらたに樹立されるべき近代的国家体制の担い手を求めて、国民の内面性を国家がからめとり、国家が設定する規範と秩序にむけて人々の内発性を調達しよう」というものであり、「それは、復古という幻想を伴っていたとはいえ、民衆の精神生活の実態からみれば、…(それ)への尊大な無理解のうえに強行された、あらたな宗教体系の強制であった」。

その具体例の一つとして挙げられている吉野山神仏分離では、三体の巨大な蔵王権現像を祀っている蔵王堂を「口宮」に格下げし、「町並みを4キロも離れた登山口に孤立して」いる金峰神社を本社にするという暴挙が行われたが、「蔵王権現…は、当時の民衆にとって、神仏のいずれかに区分して信奉されていたのはな」く、「蔵王権現蔵王権現として…信仰されていた」訳であり、その無意味さは明らか。

この他にも、「この地方の神社は、仏像を神体としてるばあいが多かったが、そのほか、疱瘡神、稲荷、大歳神、山の神、塞の神、地主神などが祀られており、名称や由来を尋ねても、よくわからないばあいもあった」らしいのだが、こういった民俗信仰の多様性を全く無視して「いま私たちが…神社の様式としてごく自然に思いうかべてしまう鳥居、社殿、神体(鏡)や礼拝の様式など」が国家の政策を背景として成立してしまう。

ここで注意すべきなのはそういった「民俗信仰の抑圧は、強権的なものとしてよりも、はるかに権威づけられた啓蒙や進取のプラスの価値として、人々に迫ること」になったという点であり、結局、多様な民俗信仰は「猥雑と懶惰と浪費と迷信」の一部にされてしまい、政府の開明的諸施策とその理念が曖昧なまま受容されてしまう。

まあ、最終的には、外遊で自信を得た仏教側の提言とキリスト教への迫害を非難する外圧の影響によって「信教の自由」が認められることになり、「神仏分離廃仏毀釈神道国教化政策の歴史」は終焉を迎えることになる。しかし、仏教界の主張する「『信教の自由』論においては、内面化された国家至上主義が自明の前提とされて、近代国家建設という課題にあわせて宗門を改革し、門徒大衆を教導してゆくこと」が目的とされており、「国政に害ある宗教を信ずる自由を意味するものではな」かった。

そして、神仏分離廃仏毀釈という「国家による国民意識の直接的な統合の企てとしてはじまった政策と運動は、人々の“自由”を媒介とした統合へとバトンタッチされ」たというのが少々皮肉めいた本書の結びの言葉であり、残念ながら、このような意識は今の宗教界、特に神道系のそれの内部にも根強く息づいているような気がする。

ということで、前にも書いたかもしれないが、神仏分離によってこの世から消されてしまった奇習、奇祭の類は相当な数に上るものと思われ、本当はそっちのほうが我が国の“伝統”の主要な一部を成していたのだろう。廃仏毀釈の被害にあった数多くの仏教美術の名品共々、大変勿体ないことをしたものだと思います。