処女の泉

1960年
監督 イングマール・ベルイマン 出演 マックス・フォン・シドー、ビルギッタ・ペテルスン
(あらすじ)
16世紀のスウェーデン。片田舎の農場主(マックス・フォン・シドー)の一人娘であるカーリン(ビルギッタ・ペテルスン)は、教会にお供え物のロウソクを届けに行く途中、三人組のヒツジ飼いの男たちに暴行され、無残にも撲殺されてしまう。彼女の身ぐるみを剥いで逃走した男たちは、ある農家に立ち寄って一夜の宿を乞うが、偶然にもそこはカーリンの父親である農場主の家だった…


イングマール・ベルイマンの代表作の一つとして知られる名作。

最近はネット配信の映画やアニメ、ドラマばかり見ていて肝心のDVDの方はすっかりご無沙汰になっていたのだが、ふと思い出して積み残しになっていた未見の作品を鑑賞。最初に手に取ったのは本作であり、昔はビデオやDVDがとても高価で手が出せなかったベルイマンの代表作をようやく見ることが出来た。

さて、スウェーデンに古くから伝わる“バラッド”が原案になっているということで、ストーリーは意外に単純であり、男たちが所持していた血に染まったカーリンの衣服を見て事実を知った農場主は、作法に従って禊ぎを済ませてから一人で男たちの寝込みを襲い、見事、愛する娘の復讐を果たすことに成功する。

その後、妻や使用人を連れて娘が殺害された現場に向かうのだが、その亡骸を目にした農場主が思わず口にする呪いの言葉(?)がとても興味深い内容であり、まず、娘の死や自らの復讐=殺人を止められなかった“神の不在”を嘆いた後、その地に教会を建てることを誓う。つまり、神=キリストに対する感謝からではなく、単に自分が犯した殺人の罪滅ぼし(=罪悪感の軽減)のためだけに教会を建てるというのだ。

このキリストの無力さは、不幸な娘インゲリの願い(=カーリンの不幸)を叶え、そして(おそらくは)農場主の復讐の手助けをした土着の神オーディンの有能さとは極めて対照的に描かれているのだが、その直後、農場主が娘の亡骸を抱え起そうとしたときに出現するある出来事が本作のタイトルの由来であり、それを神の奇跡ととるか、または単なる皮肉(=どうせなら娘を生き返らせろ!)ととるかは観客の判断に委ねられているのだろう。

ということで、普通のバラッド≒昔話なら娘の仇を討った時点でメデタシメデタシになるのだろうが、そうはいかないところがとても面白い。新たにデジタル処理されたらしい硬質の白黒映像はとても美しく、厳しい自然に対峙しながら暮している北欧の人々の信仰心のあり方に思いを馳せながら楽しく(?)鑑賞することが出来ました。