資本主義後の世界のために

「新しいアナーキズムの視座」という副題が付されたデヴィッド・グレーバーの本。

本当は、今話題の「ブルシット・ジョブ―クソどうでもいい仕事の理論」を読んでみたかったのだが、図書館で検索したところ予約者数が多すぎてなかなか順番が回ってこないみたい。それ以外で図書館にあった彼の本は本書だけであり、仕方がないのでこちらを先に読んでみることにした。

さて、本書の構成であるが、やや意外にもグレーバー自身の書いた文章は「負債の戦略」という10ページ足らずの論文一つだけであり、「新しいアナーキズムの政治」、「新しいアナーキズムの哲学」という2本のインタビュー記事が本書の大宗を占めている。インタビュアーは本書の訳・構成を担当している高祖岩三郎という人物であり、まあ、彼によるデヴィッド・グレーバーの紹介本とでも考えておけば良いのだろう。

本書を読んで一番興味を惹かれたのは、「すべての社会はある基底的な共産主義…の上に築かれて」おり、「資本主義、国家、あらゆる制度は、この共産主義とそれが可能にする無限の創造性を孕んだ形式に寄生」しているに過ぎないというユニークな社会認識であり、それがグレーバー流のアナーキズムの出発点になっている。

その背景にあるのは、マルセル・モースの「自分の能力の範囲内で他人の必要に答えようとすることはすでに共産主義であり、その意味において共産主義はどのような人間社会にも存在している」という発想であり、「『各人は能力に応じて働き、必要に応じて受け取る』という原理」こそが共産主義の基本であると主張する。

グレーバーはその具体例として、「二人の人が、導管を修理しているとき、一人が『レンチをとってくれないか』と言う。その際、頼まれた方は『その代りに何をくれる?』とは言わない」だろうと書いているのだが、確かにこのように考えれば「共産主義的関係性はどこにでもある」ことになり、その考えが「われわれは結局資本主義を破壊する必要はない…われわれがしなければならないことは、単にそれを生産するのをやめること」だけなのだという発想へと繋がっていくのだろう。

また、「人権論というものが最終的にアナーキストの役に立たないのも事実」という発言もなかなか刺激的であり、その理由は、それが最終的には「国家の存在を前提」にしており、「権利とはわれわれが政府に対してのみ主張しえ、政府の権威に働きかけることによってのみ、行使しえる」ものでしかないから。

そして、それに代わるものとしてグレーバーが主張しているのが「無限の負債」論であり、「われわれは自然に、あるいは社会、地球、宇宙、先行世代、あるいはわれわれの生を可能にし、われわれをわれわれたらしめているすべてのものに、無限の負債がある」というのがその内容。要するに、私が殺されないのは生きる権利があるからではなく、「世界中の皆が私を殺さない義務を負っている」から、ということになるらしい。

なお、ここで注意すべきなのは、社会の「後ろには常に『国家』が隠れている」という現実であり、「負債をどのように返報するか教えようと主張する権威」に悪用されないよう、「それをどのように返報するか決定できるのは、その当人のみ」であるということを改めて確認しておく必要がある。

一方、彼の運動家としての発言の中では、「アメリカのメディアは、正規の命令系統から発せられたものならば、警察の行動を、それが何であれ『暴挙』と報道しない」という指摘が重要であり、「9.11以降アメリカでは、国家が『戦闘規約』は変わったと決定した」にもかかわらず、マスコミが沈黙しているせいで「ガンジー戦術は駄目だ!」ということになってしまったらしい。

それに代わる戦術の一つとして考案されたのが「ブラック・ブロック」であり、そこでは、グリーン(=違法行為や対決的な行動はとらない)、イエロー(=伝統的な市民的不服従。過度に挑発的な行動や他人を傷つける可能性のある行動は控える)、レッドというように「人びとはそれぞれ自分自身の行動を決定」するのだが、同時に「(自分が認可しえない)異なった選択をする人びとの連帯を保持」しなければならない、とされる。

ちなみに、最後に収録されている矢部史郎との対談の中で、矢部が「『高踏理論』と『低理論』の問題」に触れ、ネオリベラリズムの「低理論」と闘うためには同じ「低理論」であるアナーキズムが重要であると主張したのに対し、「『高踏理論』というものは、あくまでも『低理論』のための道具にならなければいけない」と応じているところはなかなか感動的であり、それを読んで一気にグレーバーのファンになってしまった。

ということで、「アナーキズムが本当にこだわっているのは、『武器を持った人間が現れ、皆を黙らせ好きなことをやるということが決してない』ということです」という発言からも明らかなとおり、グレーバーは徹底した平和主義者であり、そんな彼が昨年9月に59歳の若さで急逝してしまったのはとても残念。とりあえず、次は「ブルシット・ジョブ―クソどうでもいい仕事の理論」を読んでみようと思います。