ワンダーウーマン 1984

今日は、妻&娘と一緒にガル・ガドット主演の「ワンダーウーマン 1984」を見てきた。

コロナの影響により、今春6月の予定から公開が度々延期になってしまい、一時はネット配信になる可能性もあったらしいが、パティ・ジェンキンス監督等の強い要望によって何とか劇場公開(=米国ではかなり限定された規模になるのだろうが…)にこぎ着ける。こちらとしても待ちに待った一大イベントであり、妻&娘を急かして朝一番の上映に駆けつける!

さて、ストーリーは、何でも一つだけ願いを叶えてくれる不思議な石を手に入れた実業家マックスの謀略によって、世界中が核戦争一歩手前の大混乱に陥ってしまうというものであり、今回、ワンダーウーマンの最大の敵になるのは我々みんなの心の奥にある自分勝手な欲望。そして、ダイアナ自身もそんな欲望と無縁ではなかった!!

タイトルからも明らかなとおり、舞台になるのは1984年の米国なのだが、そこはオーウェルディストピア小説とは無関係のいたって普通の世界。しかし、たまたま今読んでいるピケティの「21世紀の資本」によると「1980年以降、米国の所得格差は急上昇した」そうであり、現在の超格差社会の原因となる“何か”がそこには存在していたのだろう。

本作でそれを象徴しているのが“不思議な石”であり、豊かになりたい、強くなりたい、美しくなりたい、という人々の身勝手な欲望はいつしか世界中を大混乱に巻き込んでしまう。そして、それを食い止めたのは、嘘いつわりのない“ありのままの世界”を受け入れようというワンダーウーマンの心の叫びであり、何とかそれに応えることができた世界は、無事、素敵なクリスマスを迎えることができる…

実は、この“本当の悪はヴィランではなく、我々の心の中に存在する”という主張は前作「ワンダーウーマン(2017年)」にも共通するものであり、前作では、まあ、ヒーロー映画のお約束ということで、最後にその化身である悪神アレスを登場させていたが、本作には諸悪の根源的な目に見える“ラスボス”は出てこない。

そのせいもあって、正直、戦闘シーンの迫力という点では前作に及ばないのだが、本作のテーマ(=新自由主義批判も含まれていると思う。)からすればそれは英断と評価すべきものであり、60数年ぶりに奇蹟の再会を果たしたダイアナとスティーブによるロマンチックなラブコメシーンの数々はそんな弱点を完璧に補っている。

ということで、唯一の不満はゴールドアーマーの使い方にもう一工夫欲しかったことくらいであり、エンドロール途中のサプライズも我々中高年ファンにとってはとても嬉しいクリスマスプレゼント。米国での公開は来週になるらしいが、是非とも大ヒットを記録して頂き、また次回作で美しいガル・ガドットワンダーウーマンとお会いできることを願っております。