ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語

今日は、妻&娘と一緒にシアーシャ・ローナン主演の「ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語」を見てきた。

前回、映画館に足を運んだのは2月22日のことなので、約4ヶ月ぶりの映画鑑賞。まあ、この作品なら満員になることはないだろうという計算もあったが、久しぶりに訪れたシネコンは想像した以上に閑散としており、いつもなら行列のできる売店前のカウンターにも人影はまばら。隣席との間に3席分の空席が確保されたシアター内もガラガラであり、観客は我々を含めても10名強。うん、これならコロナ対策は万全だね。

さて、そんな戒厳令下のような雰囲気で鑑賞した本作であるが、原題は「Little Women」であり、ストーリー的にもオルコットの「若草物語」(=と言っても小説は未読なので、ジューン・アリソン主演の「若草物語(1949年)」に準拠)にほぼ忠実。一番の違いは、ジョーがニューヨークで一人暮らしをしている時点から話しが始まるところであり、原作で一番楽しい四人姉妹の少女時代は、もっぱら彼女の回想シーンとして描かれている。

そのため、特にキャサリン・ヘップバーン主演の「若草物語(1933年)」で顕著だった“少女期の終わり=大人になることへの不安”というテーマは、“過去のもの”としてやや背景に押しやられているような印象であり、それに代わってウェイトを増しているのが“女性にとっての結婚”という少々深刻なテーマ。

結局、メグもジョーもエイミーも財産より純愛を選ぶことに違いはないのだが、内容は三者三様であり、特にジョーに関しては、“ベア教授との結婚は彼女の小説の中の作り話であり、本当は結婚なんかしてないんじゃないの?”と観客を一瞬錯覚させるような工夫が凝らしてあるのがとても興味深い。

確かに、これまでの作品でも、ジョーがその結婚相手に対して本当に恋愛感情を抱いているのかどうか少々疑わしい点が見られたが、生涯独身を貫いたというオルコットの境遇を考慮すれば、ジョーの結婚が出版社からの強い要請を受け入れた妥協の産物である可能性は否定できない。このあたりの裏事情を上手く作品に取り入れたグレタ・ガーウィグ監督の手腕は、高く評価されるべきだろう。

また、出演者の顔ぶれもオールスターキャストだった1949年版に引けを取らない程の充実ぶりであり、四姉妹を演じた女優さんは皆さんとても素晴らしい。中でもフローレンス・ピューの演じたエイミーは歴代最高の出来であり、実年齢差が少ないこともあって、主演のシアーシャ・ローナンに負けず劣らずの存在感を示していた。

ということで、妻&娘も大満足の様子で映画館を後にしたのだが、その後に立ち寄ったショッピングモールでのいつもと変わらぬ盛況ぶりにちょっと驚愕。正直、これを見るとシネコンでの厳重な警戒体制がまるで冗談のように思えてしまうところであり、う~ん、このへんのチグハグな対応が我が国の“理念なき”コロナ対策の特色(?)なのでしょう。