ビリー・バッド

ハーマン・メルヴィルの死後30年以上経った1924年に発表された中編小説。

読もうと思っていた本が本作を題材に取り上げていることを知り、先にこっちを読んでみることにした。比較的翻訳の新しい光文社の古典新訳文庫版をチョイスしたのだが、「白鯨」を読んだときに悩まされたメルヴィルの“読みにくさ”はこの遺作でも健在(?)であり、訳者が「一つのことを表わすのに普通より多くの単語を費したり、肯定しているのか否定しているのかわからないほど否定を重ねたり、ということになり、一文のなかでも部分と部分の関係がわかりづらい」と愚痴を述べているのが面白かった。

さて、ストーリーは、〈ハンサム・セイラー〉として船員仲間から愛され、尊敬されていた主人公ビリー・バッドに突然降りかかる悲劇の運命が描かれており、それに大きく関わっているのが「強制徴用」と呼ばれる当時の「きわめて乱暴なシステム」。慢性的な人手不足に悩まされていた英国海軍は、「商船や港町の酒場などから、なかば拉致するような形で水夫を集め」ていたらしい。

「もとより強制徴用された水夫に愛国心などあるわけがなく、指揮官たちは不満を抱えた彼らによる反乱をいつも恐れていた」らしく、「実際、1797年にイギリスのテムズ川の主要な港であったスピットヘッド湾とノア湾で、待遇改善を求めた水夫たちが反乱を起こした」というのが本作の重要な時代背景になっている。

もっとも、「自然のままに生きるのを習いとし、…〈蛇〉と付き合う以前のアダム」と形容されるビリー自身は、「無理やり徴用されたことについても、天候の変わりやすさか何かのように、当たり前のことと受け取ってい」たようであり、彼が徴用された74門鑑ベリポテント号の船員たちの間にも反乱に繋がるような目立った兆候は見られなかった。

しかし、そんなビリーの「際立った美しさ」に嫉妬と反感を抱く人間が艦内にいたことが彼の不幸の始まりであり、その人物とは先任衛兵長(=軍艦における警察署長のような役職)のジョン・クラガート。「生来そなわる堕落」の持主である彼は、他の船員たちを使ってビリーを反乱の危険人物に仕立て上げ、満を持してヴィア艦長に告発する。

艦長の面前でクラガートから身に覚えのない告発内容を聞かされたビリーは必死になって弁解を試みるのだが、唯一の弱点である吃音が邪魔をして「ただごぼごぼという音を発するだけ」。焦ったビリーは激情に駆られて隣にいたクラガートを一撃で殴り殺してしまい、結局、上官を殺害した罪で絞首刑に処せられてしまう。

実を言うと、「本当の貴族的な徳性」の持主であるヴィア艦長は最初からクラガートの告発内容を疑っており、ビリーがクラガートを撲殺したことに関しても「最後の審判なら、無罪となるだろう」と認めている。丁寧な解説を書いている大塚寿郎教授によれば、そんなヴィア艦長に見られる「不確実で曖昧な世界のなかで、解答を出さねばならず、苦悩し葛藤する人間の姿」に共感することが本書の醍醐味ということになるらしい。

すなわち、ヴィア艦長の心は、「無垢なる仲間…を、即決で恥ずべき死罪に裁定」することを躊躇わせる〈自然〉と、「どんな事例でどんなに無情に法がはたらこうが、われらはそれに従い、法を執行する」ことを誓った王への忠誠との間で、また、キリストによる最後の審判と「父である戦争に瓜二つ」な反乱条例との間で激しく揺れ動くことになるのだが、結局、寛容な判決が艦内の「規律にとっては致命的」になることを恐れた彼は、ビリーに死罪を言い渡すことを選択してしまう。

解説によれば、「『進歩』という『大きな物語』…この近代の『物語』に対する懐疑がポストモダンな態度であり、両義性、不確定性、複数の道徳的選択の可能性などをその特徴とする」そうであり、そういったポストモダン的な立場からすれば、本書におけるヴィア艦長の葛藤についても様々な評価が可能になってくるのだろう。

しかし、「価値が多元化した世界では、もはや、なにが正義なのかではなく、だれの正義なのかが問われるようになっている」のだとすれば、我々のような庶民にとっての正義が「反乱への不安」より「ビリーの生命」を優先させるのは当然のことであり、艦内の規律が心配だったら、可能な限り強制徴用された水夫の処遇改善に努めれば良いだけの話。

“規律の維持のためにはビリーの命を犠牲にするのもやむを得なかった”という考えは、例えば“兵士を性病から守るためには従軍慰安婦の犠牲もやむを得なかった”というのと同じことであり、強制徴用という根本的な問題を放置したまま、弱者にそのツケを回そうとすることは断じて許されるべきではないと思う。

ということで、ここまでヴィア艦長の葛藤ばかりを見てきたが、本書にはもう一つ大きな問題が残されており、それはビリーの美点を誰よりも認めながら、彼への愛が嫉妬と反感へと変化してしまったというクラガート先任衛兵長の心の闇。メルヴィルはそれを〈生来の堕落〉と呼んで先天的な性格の問題にしているが、嫉妬や反感というのはもっとありふれた感情であり、もう一歩踏み込んだ検討が必要なのではないでしょうか。