「黒い画集」という短編集に収められた9編の短編を収録。
著者自身による「『黒い画集』を終って」によると、昭和33年9月末から1年9ヵ月間にわたって週刊朝日に連載された“読切り連作”がベースになっているそうであり、そのうちの一編である「失踪」は他の作家とネタがかぶってしまったために短編集には収録されず、代わりにサンデー毎日に掲載された「天城越え」が収められているとのこと。
さて、「各編にバラエティを持たせたいと思った」という著者の言葉どおり、ジャンルや物語の長短等、それぞれに趣向の異なった作品が収録されているのだが、雑誌連載中ならともかく、一冊の本として読ませる場合、読者に散漫な印象を与えてしまうのはむしろマイナス効果なのではなかろうか。
そんな中で出色なのは、先日読んだ山岳ミステリ・アンソロジー「闇冥」にも収録されていた「遭難」であり、今回、改めて読み返すことはしなかったものの、正直、これを凌駕するような作品はこの短編集の中には見当たらない。当時、週刊朝日の編集長を務めていた扇谷正造氏は、この作品を読んだ地方支局の記者から「永遠につづけて下さい」と言われたそうである。
次に面白かったのは、著者自身も気に入っているという「天城越え」であり、東京帝国大学国文学科卒のエリートである川端康成の書いた「伊豆の踊子」を、尋常高等小学校卒の貧乏人が書き直せばこうなるといった感じの短編小説。当然、殺人事件を扱っているのだが、印象的には赤い蹴出しを出して裸足で山道を歩く若い娼婦のイメージが圧倒的であり、ギレルモ・デル・トロあたりに監督してもらえばダーク・ファンタジーの傑作になりそうな気がする。
また、実際に橋本忍の脚色で映画化されたという「証言」も興味深い作品であり、自分の浮気がバレるのを恐れて、殺人の疑いをかけられた知人のアリバイを否認してしまう男の身勝手さがテーマ。最後の驚くほどさりげないどんでん返しが魅力の短編なのだが、映画を見た著者が「もう少し枚数を費やしてあのとおりの結末にした方がよかったと、ちょっとくやしかった」と言っているので、機会があれば映画の方も見てみたいと思う。
ということで、真面目一方だった小間物屋の店主がキャバレーのホステスに惚れ込んで破滅するという「坂道の家」では、「その動機を書いてゆくうちに、その部分がしだいに長くなってしまった」という中年男の歪んだ恋心の描写が妙にリアル。読んでいて、著者の意外な一面に触れてしまったような気がしたが、タネを明かせば「このころ、私は頻繁にバーやキャバレーの『見学』をはじめていた」とのことであり、まあ、たった一度の登山で「遭難」を書き上げてしまう力量を思えば、そんな男心の描写なんて(自らの体験に拠らずとも)取材だけで十分だったのでしょう。