アド・アストラ

今日は、妻&娘と一緒にブラッド・ピット主演のSF映画「アド・アストラ」を見てきた。

正直、事前情報が極めて少ない作品であり、予告編を見ても、宇宙を舞台にしたSF映画であることと失踪した父親探しが一つのテーマになっていることくらいしか分らない。しかも、何故か日米同時公開の故、全米での興行成績も不明であり、娘の“リヴ・タイラーがヒロインだから新装「アルマゲドン(1998年)」に違いない!”という無茶苦茶な予想を聞き流しながら映画館へ向かう。

さて、ストーリーは、そんな娘の予想を完全に裏切る極めて真面目な物語であり、宇宙規模で頻発するようになった“サージ”を止めるために、ブラピ扮するロイ少佐がその発生源が存在するらしい海王星に向かって旅立つという内容。実は、海王星の軌道上には十数年前に事故死したと思われていたロイの父親クリフォードの乗る宇宙船が今も浮んでおり、地球を破滅させるかもしれない危険なサージはそこから発せられているのだ!

まあ、こんなふうに要約すると、“クリフォードがサージを発生させている理由は何か?”という点が本作の最大のポイントになると思われてしまいそうだが、どうやらそれは単なる事故の影響であり、本作のテーマとはほぼ無関係。要するに、シナリオ的にはロイとクリフォードとを出会わせるための方便に過ぎなかった。

では、何が本作のテーマなのかといえば、おそらく“父と子の和解”であり、家庭を犠牲にして地球外生命体の探査に没頭する父親への怒りを押さえ込もうと努力してきた結果、感情レベルでのコミュニケーションが困難になり、妻とも別れてしまった主人公が、海王星への長い旅を通して父親を理解し、許すことによって自らの感情表現を取り戻す、っていうことなのかもしれない。

しかし、そんな話であれば何も海王星くんだりまで出掛ける必要は全く無い訳であり、(娘の言うとおり)日本で和菓子作りにハマってしまったトミー・リー・ジョーンズを息子のブラピが迎えに来るというストーリーで十分だったはず。SF映画にするのであれば、SFでなければ描けないようなもっと崇高かつ非日常的なテーマを選んで欲しかった。

また、そんな単調なストーリーに変化を持たせるために採用したエピソード(=月面での略奪者とのカーチェイスや実験用サルとの格闘等)も底の浅いものばかりであり、おそらく脚本も担当しているジェームズ・グレイ監督も意識していたであろう「2001年宇宙の旅(1968年)」のHALのエピソードとは大違い。結局、改めてスタンリー・キューブリックアーサー・C.クラークの凄さを再認識させられる結果になってしまった。

ということで、せっかくCG等の技術が飛躍的に進歩しても、SFならではのセンス・オブ・ワンダーを満足させてくれるような魅力的なストーリーが無ければ優れたSF映画は生まれてこない。ここはあまり新作にはこだわらず、我々オールドSFファンが喜ぶようなSF黄金期の小説を映画化してみてはいかがでしょうか。