資本主義と闘った男

宇沢弘文と経済学の世界」という副題の付けられたフリージャーナリスト佐々木実による宇沢弘文の伝記。

「この最後の者にも」を読んでいて、やっぱりジョン・ラスキンはちょっと古すぎたかなあと思っていたときに目に入ったのがこの本であり、内容を理解できる自信はなかったものの、とりあえず読んでみることにした。その結果は大成功であり、以前読んだ「社会的共通資本」やラスキンの著作の経済学史的な意義を(俺なりのレベルで)理解することが出来たと思う。

さて、本書の最大の魅力は、宇沢の波瀾万丈の生涯を著者と一緒にたどりながら、ついでに経済学の歴史を難解な数式やグラフ抜きで理解できるようになっているところであり、600ページを越える文量のうちの相当部分を後者の説明に費やしているのだが、その大ざっぱな概略は次のとおり。

1 1776年、アダム・スミスの「国富論」により古典派経済学が誕生
・ 資本家、労働者、地主の3階級からなる階級社会が前提
・モノの価値は投下された労働量にとって決まる。=労働価値論
リカードの悲観論やマルクスの階級間対立激化の思想を生む。→社会主義の台頭へ

2 1870年代の分析手法の革新(=限界革命)を経て新古典派経済学
微積分学を用いる「科学的装いをまとった学問」へ変貌
・ 階級ではなく「一定の主観的価値基準のもとで合理的に行動する」個人が前提
・ モノの価値は「モノとモノをくらべたときの希少性」によって決定される。
ワルラス一般均衡理論がマーシャルの部分均衡理論より優位に立つ。→数理経済学の発展

3 大恐慌を契機にして1936年にケインズ革命が起きる。
・ 自由放任主義を否定し、政府による経済の適切な管理の必要性を主張
・ 「供給はそれ自身の需要をつくりだす」というセイの法則の否定

4 1947年、サミュエルソン新古典派総合経済学を提唱
・ 「経済の数学化」によりケインズ経済学と新古典派経済学との整合性を維持
アメリカ・ケインジアンの隆盛→ロビンソンとの資本論

5 1970年代後半以降、フリードマンの主張する新自由主義の台頭
マネタリズム大恐慌は市場システムの失敗ではなく、政府による金融システムの運用ミスが原因→ケインズ経済学の否定
・ 経済学にとっては「予測の正確性」が最も重要であり、前提の現実性は問わない。
・ 1980年代、サッチャーレーガンによって新自由主義が全盛となる。
・ 2008年のリーマン・ショックを機に新自由主義への批判が強まる。

さて、東大数学科の特別研究生に選ばれた宇沢がマルクス主義に傾倒し、大学院をやめてしまったのが1953年なので、上の区分によるとサミュエルソンの提唱した「経済の数学化」が推しすすめられている真っ最中。「数学的思考は封印したまま、マルクス経済学を学んでいた」彼は、ケネス・アローらの数理「経済学に高度な数学が使用されていることにショックを受け」、「ひとつは数学、もうひとつは市場社会主義への関心」からそれに惹きつけられてしまう。

そんな彼が1956年に渡米してからの活躍は「第4章 輝ける日々」以降に詳しく紹介されているのだが、ポール・サミュエルソンをはじめ、ロバート・ソロー、ジョーン・ロビンソン、そしてミルトン・フリードマンといった経済学の超大物たちと臆することなく議論を戦わせる様子は正に痛快。

その最大の武器になったのは宇沢の卓越した数学の能力だったのだろうが、もう一つ、彼の個性を際立たせていたのがマルクス経済学や社会主義に対する“こだわり”であり、初期の功績の一つである「2部門モデル」も(新古典派経済学が無視しようとしていた)資本家と労働者の階級対立を意識したものらしい。

最終的に彼は、「歴史的な実際のプロセスとしてわれわれ経験したことがない」し、「論理的に検証できない」という理由で、資本主義国が社会主義体制へ移行する可能性を明確に否定しているのだが、多くの社会主義者の“現実から目を反らさずに困っている人々を救いたい”という問題意識だけは亡くなるまで共有し続けていたのだと思う。

さて、1968年に帰国した宇沢を待っていたのは、我が国の「高度経済成長の陰に隠れた領域にたたずむ人々」を取り巻く厳しい現実の姿であり、最初は躊躇しながらも、水俣病三里塚闘争地球温暖化、そして最後は沖縄の基地問題といった様々な社会問題に取り組んでいくようになる。

そんな彼の学問上の転機になったのが1974年に出版された「自動車の社会的費用」であり、それを萌芽とする「社会的共通資本の経済学」は、これまで顧みられることの無かった「大気、水、土壌などの自然的環境と交通、保健、教育などのサービスを生みだす社会的環境」を「シャドウ・プライス」の技法を駆使して主流派経済学の分析に取り込もうとするものであった。

この理論は「新古典派経済学が描く資本主義像を否定してしまうほどの根本的な発想の転換」であり、その政治的な狙いは「経済成長を追い求める政策からの転換を促す…高度経済成長後の福祉経済制度構想」であった。しかし、世界はスタグフレーションを巡る論争でケインジアンに勝利し、「現実の政治における自由放任主義市場原理主義に正当性を与え、力強く支援」するフリードマン新自由主義の時代へと変化しており、そんな「時代思潮の保守化」の前に「宇沢弘文は、敗れたのである」。

それでも彼の思索と行動は止まるところを知らず、「地球温暖化問題も三里塚問題も、社会的共通資本という枠組みのなかで同時に考察することができるはずだ」との希望を抱くに至るが、日米構造協議や小泉内閣構造改革京都議定書における排出権取引(=「人間として最低の生きざまです」)、TPP等々、我が国の政治は彼の思惑とは反対の方向に向かって進んでいき、そんな中、2014年9月に86歳でこの世を去ることになる。

まあ、誠にあっぱれな生涯だったというのがこの本を読み終えたときの偽らざる感想だが、それ以外にも本書には興味深い知識がギッシリ詰まっており、その一つが「科学的装いをまとった学問」としての経済学の胡散臭さ。マル経と近経の区別くらいしか知らなかった俺は、後者の最大の貢献は「経済の数学化」だと信じていたのだが、それは同時に階級対立や人間の本性、幸福といった“支配者層が目に入れたくない事物”を無視するための便宜として重宝された。

非現実的な「ホモ・エコノミクス(経済人)」を前提にした合理的期待形成仮説を嫌悪する宇沢は、「経済学の対象をそういったプロフィット(利潤)を求めて行動する人間、それをラショナル(理性的)な行動として規定して、その分析を行なおうというのが新古典派の立場であるわけですけど、僕はそうではなくて、やはり経済活動の中にも、あるいは経済循環のメカニズムの中にも実はそうではない動機に基づいた行動というものがあって、それが必ずしも無視できない役割を果たす」と言っているのだが、これは先日読んだラスキンの「いかなる人間の行為も損得の比較によらず、正邪の比較によって左右されるべきである」という言葉に極めて近い考えであり、俺がそれを「『正邪』とか『生』とかいうような曖昧かつ主観的な概念に拘泥し続けていたら、その後の経済学の発展はあり得なかったんじゃないのかなあ」と捉えてしまったのは大きな間違い。

また、フリードマンマネタリズムが今の新自由主義を創造した訳ではなく、ケインズ革命に由来する様々な規制を窮屈に感じていた経済エリートたちが、彼らの欲する自由放任主義市場原理主義を正当化するための手段としてフリードマンの学説を利用したというの方が真実に近く、まあ、フリードマン自身もそのことは十分自覚していたのだろう。

ということで、リーマン・ショック後も「社会を市場化することが豊かさをもたらすというイデオロギーが根強く生き残っている」我が国の現状は誠に困ったものであり、「社会的共通資本の経済学」が一日も早く息を吹き返すことを期待したいところだが、おそらくその最大の弱点はその実践者たるべき「職業的専門家」が不在というか、まだ目覚めていないことであり、何とかして「社会的共通資産の概念を説得力をもって提示するため(の)実践例」を1つでも良いから実現させたいものです。