君主論

ニコロ・マキアヴェリが1513年に執筆した政治学の古典。

あまりにも有名すぎる故、かえって読むのを躊躇っていた本なのだが、以前読んだ「社会契約論」の中でルソーが「マキアヴェッリは国王に教訓を与えるふりをしながら、人民に大切な教訓を与えたのである。マキアヴェッリの『君主論』は共和主義の宝典なのだ」と言っていたのがどうしても気になってしまい、ようやく読んでみることにした。

さて、中公文庫版で翻訳を担当している池田廉氏の解説によると、本書は①国の分類と、その征服と維持の手段(第1~11章)、②攻撃と防衛に関する軍事的側面(第12~14章)、③君主の資質(第15~23章)、④イタリアの危機的現状の分析、さらに危機をのりきる君主の待望論。運命観をも含む(第24~26章)という4つのパートから構成されており、執筆当時、21歳になるかならないかであったメディチ家の期待の星ロレンツォ2世に捧げられている。

しかし、おそらく予備知識が多すぎたせいだと思うのだが、書かれている内容はどこかで聞いたことのあるようなものばかりであり、正直、新鮮味に乏しいったらありゃしない。勿論、その“どこか”の源泉がこの本にあるのは言うまでもないが、君主向けのハウツー本のような底の浅い記述(?)から、著者の高邁な哲学を汲み取ることはなかなか容易ではない。

また、忘れていけないのは、本書が「領土欲というのは、きわめて自然な、あたりまえの欲望である。したがって、能力のある者が領土を欲しがれば、ほめられることはあっても、そしられはしない」という主張が当然と考えられていた時代の産物であるということ。いくらマキアヴェリが褒めているからといって、今の時代にチェーザレ・ボルジアのような政治家を許容するというのはあってはならないことだろう。

結局、本書を読んでみて最も興味深かったのは、「結論として述べておきたいのは、ただ一つ、君主は民衆を味方につけなければならない」という言葉に代表されるように、民衆から支持されることの重要性を繰り返し強調しているところであり、「もし最上の要塞があるとすれば、それは民衆の憎しみを買わないことにつきる」ということを今から500年以上前に主張しているのは間違いなく素晴らしい。

福祉や教育の確保等が求められる現在の為政者とは異なり、当時の「君主は、戦いに勝ち、ひたすら国を維持して」くれてさえすれば、市民は「商業、農業、その他いっさいの人間の営みにおいて、各自が安心して仕事に従事できる」訳であり、あとは「君主にとりあげられるのがこわさに、自分たちの私財をふやすのを恐れることなく、また重税こわさに商取引をさしひかえたりしないように、配慮」していれば良い。

おそらく、「君主は、戦いと軍事上の制度や訓練のこと以外に、いかなる関心事ももってはいけないし、また他の職務に励んでもいけない」という主張はそういった夜警国家的な発想に基づくものであり、ルソーの「『君主論』は共和主義の宝典」という言葉も(君主の本音を暴露したからというだけでなく)そんなところを評価したのではなかろうか。

ということで、「傭兵軍および外国支援軍は役に立たず、危険である」というのももはや手垢の染み込んだ真実であり、辺野古の新基地が不要なことは500年以上前に立証済み。本書には「やむにやまれぬ人にとっての戦が正義であり、武力のほかに一切の望みが絶たれたとき、武力もまた神聖である」という不穏当な言葉も引用されているのだが、そうならないためにも一日も早い話合いによる解決を望みます。