明治維新

講座派の歴史学者である遠山茂樹が1951年に発表した明治維新史。

ルフェーヴルの「1789年−フランス革命序論」がとても面白かったので、その明治維新版を読んでみようと思ったのが発端なのだが、日頃の勉強不足が祟って“明治維新史の決定版”がどの本なのか分からない。最初は羽仁五郎の「明治維新史研究」にしようかと思ったのだが、実際に執筆されたのが戦前だということを知って、急遽、こっちに変更。

さて、本書の結論は「歴史的画期としての明治維新は、天保12(1841)年の幕政改革に始まり、明治10(1877)年の西南の役をもって終る、37年間の絶対主義形成の過程である」ということであり、明治維新の起点を「開国」にではなく「天保改革期」に置いていること、また、その歴史的性格を「不徹底なブルジョワ革命(≒近代化)」としてではなく「絶対主義の成立(=封建制の断末魔)」として捉えていることが本書の特色らしい。

実をいうと、こういった結論は著者自身によっても後に一部修正されているらしいのだが、当時の前マニュファクチュア的な産業構造からし明治維新ブルジョワ革命と位置づけることは出来ないと認識しつつも、そこに農民闘争、すなわち(黒船による外圧のみならず)わが国の民衆の力による内的要因をより強く見出したかった著者の心情(?)には思わず共感してしまいたくなる。

まあ、そんなこともあって本書における明治維新の評価は相当辛口であり、いわゆる維新の志士たちについては「彼らを改革派として藩政の上に押し上げたものは、民衆としての意識においてではなく…支配者としての封建身分意識に外ならなかった」と厳しく指摘。「民衆の反封建闘争のエネルギーをある程度利用しつつ、結局これを歪曲し鎮圧する階級的立場を自覚せしめられ…これを欺瞞する絶対主義政治家的術策を身につけることができた」というのは決して褒め言葉ではないだろう。

また、江戸時代末期にあっては、「封建的秩序を再建する」ためには天皇を中心とした絶対主義体制への移行が必要不可欠であり、また、将来の攘夷のためには当面の開国(=富国強兵)は避けられない、といった認識は幕府側も倒幕側も共通して抱いていた(=「倒幕が公武合体紙一重」)ため、残された問題は主導権をどちらが握るかという点だけであり、結局、明治維新は「社会変革としての底のきわめて浅い」、「低俗な権謀術数性」の顕著なクーデターとして実現された、と説く。

さらに、明治維新の評価において重要視されることの多い「わが国の独立の危機」に関しても、ペリーが「究極において求めたところは、開港であり、外交使節の交換であり、封建支配者の干渉なき自由貿易の確立」であるに過ぎず、「インドを植民地化した17世紀のイギリスの対印外交と、19世紀5、60年代の対日外交の性格を同一視して、わが国の独立の危機を、当時の国際環境に直ちに想定することは誤りである」と明快に断じているところが面白い。

このようにして出来上がった新政権は「王政復古のクーデターに参加した5藩の武家と、倒幕派公卿の掌握する公家との協力政権」であり、戊辰戦役の「論功行賞で…今日の主君と肩を並べる位階の朝臣たる身分」を手に入れることができた“明治の元勲”たちは、廃藩置県という「第二の王政復古クーデター」や「地租改正令・徴兵令・学制の発布」によって着々と自らの地歩を固めていく。

特に「諸藩割拠の根源をなす封建武士団武力の粉砕のための最後の一撃」となった徴兵制においても特段の配慮がなされたという「家父長制こそ、天皇制の社会的・思想的基盤」であり、「法の権威を背景とする戸主権の確立・擁護は…封建的な親族家族関係、社会関係の存続を支える力となった」という指摘は、最近の憲法24条改正の動きとの関連においても大変興味深いところであった。

ということで、解説を担当している永井秀夫氏は「遠山さんの明治維新にたいする評価は全体として厳しすぎないか」という懸念にも言及しているが、まあ、“日本の将来を憂う高潔な英雄たちが雨後の筍のように集団発生した”というファンタジーを盲信するよりはよほど健全であり、おかげで「夜明け前」の主人公を襲った喪失感の正体をより深く理解できたように思います。