『市民ケーン』、すべて真実

古典的名作「市民ケーン(1941年)」の製作過程を明らかにしたロバート・L.キャリンジャーの本。

勿論、本書を手にしたのは「Mank/マンク(2020年)」を見たことがきっかけであり、「市民ケーン」の脚本を書いたのは誰かという謎を解明するのが第一の目的。その謎を取り扱っているのが「第2章 誰が脚本を書いたのか?」であり、保存されていた初稿から第7稿までの脚本を読み比べることによって.マンキウィッツとウェルズのどちらの貢献がより大きかったかを明らかにしていく。

それによるとマンキウィッツによる第1稿は主人公のモデルになった「ハーストの生涯における様々な逸話に物語的な脚色を加えて並べただけのもの、という印象が拭いきれない」という代物だったそうであり、正直、著者は「必ずしも一流の脚本家ではなかった」、「集中力に欠ける脚本家」というようにマンキウィッツのことをあまり高く評価していない。

一方、ウェルズに関しては「この土台の上に立ち、映画文法の輝きを加えた…ハーストの薄っぺらなフィクション化に過ぎなかったケーンを、謎に満ち、人間性の深淵を秘めた巨人へと描きなおした」と最大級の賛辞を送っているのだが、その一方でそれが彼の「全作品中でもっとも力強い物語構造、もっとも完成された人間描写、そしてもっとも丁寧に書かれた台詞がある」のはマンキウィッツの貢献によるものとしており、結局、作品のクレジットのとおり“共同脚本”というのが最も実態をよく表しているようである。

そして、この「共同作業」というのが本書の最大のキーワードであり、続く第3章では美術監督のペリー・ファーガソン、第4章では撮影監督のグレッグ・トーランド、そして第5章ではポストプロダクション担当のリンウッド・ダン、ジェームズ・G.スチュアート、バーナード・ハーマンといった具合に、多くの技術者の協力が「市民ケーン」の成功に大きく寄与しているとしている。

何と言っても、「市民ケーン」はウェルズの初監督作品であり、いくら天才といえども多くの技術者の助力なしには映画を撮り終えることは不可能であり、本書を読んでいると映画作りという「巨大なおもちゃの機関車」を前にした生意気な子どもが周囲の大人たちに我儘を言ったり、窘めれられたりしながら一本の作品を作り上げていく様子が目の前に浮かんでくるようである。

一方、最終章で紹介されている「偉大なるアンバーソン家の人々(1942年)」の失敗(?)の原因は、とりあえずの成功によって自信過剰になったウェルズが「共同作業」の重要性を軽視したせいであり、「その後の彼は二度とハリウッドのメジャー・プロダクションを自分の望んだ形で任されることはなく、1942年の夏以降、その生涯をハリウッドでもっとも有名な不可触賤民として過ご」すことになってしまう。

ということで、撮影監督のグレッグ・トーランドの貢献についてはこれまでも様々な文章で目にしてきたが、「完成された映画全体の50パーセント以上の部分には、なんらかの特殊効果が用いられているという報告もある」というのは初耳であり、これまで驚異的なカメラワークの成果だと思って見ていたシーンも、実は特殊効果によるものだった可能性があるのかもしれません。