日常性の構造

フェルナン・ブローデルの大著「物質文明・経済・資本主義 15—18世紀」の第一巻。

この「物質文明・経済・資本主義 15—18世紀」は全三巻6分冊で構成されており、今回読んだのはそのうちの1分冊と2分冊目。社会を「物質生活(物質文明)−市場経済−資本主義」の3区分で捉えようとするブローデルにとってはその1階部分である「物質生活(物質文明)」に相当するパートであり、後二者(=物質生活との対比で一括して経済生活と呼ばれるらしい。)を支える基礎をなしている。

内容は、「まえがき」のところで「前産業化経済の活動領域の輪郭をくまどって、その厚みのある領域をまるごと把握する」と述べているとおり、人口、食糧、嗜好品、住居、衣服、貨幣、都市等と極めて広範囲に渡っているのだが、(特に1巻目には)興味深いエピソードが満載であり、読み応えは十分過ぎるくらい。注意していないと本書のテーマが何だったのかを忘れてしまいそうになるのが困りもの。

そのテーマとは「前産業化世界における可能事の限界」を再認識することだそうであり、本書に描かれているとおり、物質生活においても様々な物やサービス、アイデア等が世界中に存在していたにもかかわらず、経済生活が未発達だったためにそれらの富を有効に利用することが出来ない。

産業革命以前における贅沢とは、無慈悲なほど成長の限られていた社会のなかで生じた《余剰》を、不当で、不健全で、はなばなしい、経済に反する仕方で使った所産であった」という指摘には(イヤイヤながらも)同意せざるを得ないし、“奇跡の食物”であるとうもろこしの栽培によって生み出された「農村のすべての閑暇はエジプト流の厖大な工事のために利用されることとなった」というインカ文明等に関するコメントも大変興味深い。

そして、最後の「結論として」で簡単に触れられているとおり、こうした物質生活の「不平等・不正・矛盾」を糧として登場してきたのが市場経済さらには資本主義であり、そのおかげで「世界は活気づき、その構造は絶えずより優れた構造へと、変貌していった」らしいのだが、その詳細については次の「交換のはたらき」や「世界時間」で明らかにされるのだろう。

ということで、かなり高価な書物なので市の図書館で借りて読んだのだが、再び検索してみたところ「交換のはたらき」は出てくるものの、最終巻の「世界時間」の方は見当たらないみたい。一応リクエストも出来るらしいのだが、はてさて運良く採用してもらえるものなのでしょうか。