「グランド・ブタペスト・ホテル(2013年)」を見て興味を抱いたシュテファン・ツヴァイクの遺作。
第二次世界大戦中、逃亡先のリオデジャネイロのホテルで一冊の資料もないままに書き上げたという自身の回想録であり、本作を書き終えて間もなく、妻と一緒に服毒自殺を遂げたということで、ツヴァイクの遺言的なイメージが強い。
読む前は、ファシズムに飲み込まれていくヨーロッパ社会に対するリアルタイムでの分析や批判といった内容を期待していたのだが、残念ながらこの時期の作者にはそのような気力はもはや残されていなかったようであり、自分が青春時代を過ごしてきた古き良きヨーロッパ社会に対する哀惜の念が切々と綴られている。
ロマン・ロランやアンドレ・ジイド、リヒャルト・シュトラウス、ゴーリキー、フロイトといった、彼が同時代を生きた偉人達との交流の様子が数多く登場するのでそれなりに興味深く読み進めることが出来るのだが、行間から伝わってくる自己憐憫的なトーンが少々鼻についてしまうのが困りもの。
確かに、ツヴァイク自身はなかなか愛すべきところのある好人物なのだろうが、ウィーンの裕福なユダヤ人家庭に生まれ育ったという彼のイメージする“ヨーロッパ社会”には、アジアやアフリカはおろか、当時ヨーロッパ諸国で貧困に喘いでいた多くの労働者や農民すら含まれていなかった可能性が高く、そう単純には彼の感情に共感出来ないんだよなあ。
ということで、本書を読んで一番興味深かったのは、彼が青春時代を過ごした古き良きヨーロッパ社会における国家間の垣根の低さ。まあ、それだけおおらかな時代だったということなのだろうが、世界各地で民族や宗教の違いによる独立運動が絶えない現在、行き過ぎた国家主義は“世界国家”の理想からどんどん離れていくだけのような気がしました。