ワイマール文化

ナチスの前史”として否定的に捉えられてきたヴァイマル(=本書での表記は「ワイマール」)文化の評価を覆したと言われるピーター・ゲイの名著。

1968年に発表されたこの作品で彼が目指したのは「ワイマールの狂乱の歴史を支配した主旋律を拾い集め、それらをワイマール精神が今までよりもはっきりと分かりやすくなると思われるやり方で配置すること」であり、以前に読んだジークフリート・クラカウアーの「カリガリからヒットラーまで」における興味の対象を映画から文化一般にまで拡大したっていう感じかな。

最初の「1 出生のトラウマ−ワイマールからワイマールへ」では、「現実になろうとした一つの理想」であったワイマール共和国が、その成立時から背負わされていた様々な問題を指摘しており、その最大のものが「共和派の左翼同士の内乱」。すなわち、「スパルタクス団はドイツをソヴィエト共和国にしようとし、多数派社会民主党は議会制民主主義国を望んでいた」ために一致協力して理想の実現に向うことが出来ず、結局、国民の信頼を失うことになってしまう。

さらに、(他に選択肢はなかったにしろ)屈辱的な内容のヴェルサイユ条約を受諾したことは、右翼に対して政権を批判する格好の材料を提供することになり、また、「その効率性と中立性の点で世界的に有名であった」ドイツの官僚が「共和国時代には、その高度に訓練された能力を主として行政サボタージュに用いた」というのは、我が国の民主党政権時代にも見られた悲劇。著者は、「その最期は決して不可避的なものではなかった」とも書いているのだが、ワイマール共和国が理想とはほど遠い環境の中でスタートしたことは間違い無いようである。

続く、「2 理性の共同体−和解派と批判派」と「3 秘密のドイツ−権力としての詩」では、主にワイマール文化を代表する知識人や文化人の政治的態度を取り扱っており、前者では「情熱的な信念からではなく知的な選択から共和主義者になった」という「理性的共和主義者」の存在が興味深い。

その代表的人物は「極右の邪悪さが…ワイマールの価値を教え、内外の政治的緊迫が彼を責任ある政治家に仕立て上げた」と言われるグスタフ・シュトレーゼマンであり、彼自身はその後も長くワイマール政権内に止まることになるが、理性が敬遠され、「詩が思想の代わりに置き換えられ」てしまうような当時の状況下では、ほとんどの理性的共和主義者はインサイダーにはなり得なかった。

その心理的背景をさらに掘り下げたのが「4 全体性への渇望−モダニティの試練」であり、「政治についての実際的経験をほとんどもっていなかった」当時のドイツ人は、社会的・政治的権利を軽視しながら「非合理性や死との情事に、哲学的な厳粛性と学問的な尊厳とを与えた」ハイデッガーを愛読し、「ドイツの社会主義マルクスから解放」しようとする一方で、神話化された自国の歴史に慰めや模範を見い出そうとする。

そういった「全体性への渇望」とも言うべきドイツ国民の感情と反応の複合体は、「まさに大きな不安、モダニティ(=近代性)への不安から生じた退行」に他ならず、一部ではバウハウスのような「機械化や適切な規格化を恐れない率直な現代哲学」を求める活動も見られたが、結局、「ワイマール共和国よりわずか半年だけ生きのびた」だけで解散させられてしまう。

続く「5 息子の反逆−表現主義の時代」では映画や絵画、演劇等の分野における表現主義が俎上に載せられ、最初にクラカウアーの「カリガリ博士」評が大きく取り上げられている。「表現主義の自信のなさと混乱した思考」はワイマールにとって必ずしも頼りになる存在とはなり得なかったが、11月革命を単なる一過性の事件としてではなく「父親に対する息子の反逆」と捉えたことには重要な意義があった。

それに対し、1925年のヒンデンブルク大統領誕生と共に始まった反動を描いているのが最後の「6 父親の逆襲−客観主義の盛衰」であり、まず、「ショッキングで騒々しい」表現主義から目覚め、現実に回帰しようとする新即物主義の運動が取り上げられる。そして、それに続いて紹介されるのが「共和派にとって興奮と期待の都市」であった当時のベルリンの繁栄ぶりであり、ツヴァイクのお気には召さなかったようだが、正直、その魅力は(退廃的なところを含めて)否定できない。

しかし、水面下では「共和国の墓堀人」を自称する右派勢力が虎視眈々と反撃の準備を進めており、1929年の世界恐慌を契機にして一気に政治的危機が訪れる。そんな中、共和派は「戦略的にみて日増しに重要になってきた人口層、すなわち青年層の把握に、結局失敗」し、「とりわけ学生が年上の者より先に右傾化」していく。

そして、1933年1月に「アドルフ・ヒトラーがドイツの首相になり、ワイマール文化を担った人々は、その精神とともにちりぢりになっ」てしまうが、彼らの多くは世界各地で「ワイマール精神に生命と偉大な業績と後生に残る影響を授けることによって、ワイマール精神に亡命というその本来の故郷を与え」るという、ちょっと皮肉な結末を迎えることになる。

以上、とても面白いエピソードが満載のため、ついつい引用が長くなってしまったが、俺が本書を手にした動機の一つである“ワイマール共和国と我が国の現状には何らかの共通点が認められるのではないか”という点に関しては、まあ、ほとんど否定的な結論しか得られなかった。

何と言っても、本書に登場する文化人、学者、芸術家たちの顔ぶれをみると、我が国の現状と比較しようとすること自体がおこがましいし、また、「民主主義的なワイマール憲法が真の政治への門を開いた時、ドイツ人は、宮殿に呼ばれた農民のように、自分自身どう振る舞ってよいのかほとんど分からずに呆然と戸の前に立ったままであった」とか、「リベラルで知的であると思われることは、当時は最高に名誉なことであり、とても理想的な、努力して闘いとるに価する目標であった」という記述なんかを読むと、むしろ終戦直後の状況に似ているのかもしれないなあ。

ということで、当初の目論見は外れてしまったが、共和国の墓堀人の主要メンバーであったフーゲンベルクに対する「人格的な魅力には乏しかったが、飽くことのない政治的情熱と信念にみせかけた憎悪とによって精力的に活動」したという説明は、まるで何処かの首相のことを指しているようで、読んでいて思わずニヤッとしてしまいました。