猿の惑星:新世紀(ライジング)

2014年作品
監督 マット・リーヴス 出演 アンディ・サーキスジェイソン・クラーク
(あらすじ)
前作から10年。大規模な猿インフルエンザの流行により全人口の90%を失った人類は、通信を維持するためのエネルギー確保が困難となり、孤立化が進んでいた。そんなある日、電力が底をつきかけていたマルコム(ジェイソン・クラーク)たちのグループは、かつて使われていた水力発電施設の現状把握のために調査に出掛けるが、そこはシーザー(アンディ・サーキス)率いる猿たちの世界だった….


猿の惑星:創世記ジェネシス)(2011年)」の続編。

映画館で見た前作の印象がイマイチだったのでどうしようかと悩んでいたのだが、その後のストーリーが気にならなくも無かったので、妻と一緒にDVDで鑑賞。結論から言ってしまうと、彼女の言うとおり、“良い人(猿)は戦争を避けようとしたものの、悪い人(猿)のせいで戦争になってしまう(というだけの)お話し”になっていた。

まあ、これは前作を見たときにも感じたことなのだが、このシリーズ、人間と猿の立場が逆転してしまうという“結論”が先に見えてしまっているせいなのか、それに向かってストーリーの展開があまりにも性急、粗雑過ぎるのが大きな問題。残念ながら、“登場人物が理性的な判断をするのに必要な時間的余裕を与えない”という前作における暗黙の前提は、さらに強化されていた。

だいたい、時代設定を前作からわずか10年後に設定している点がそもそもの大きな誤りであり、生物の進化という観点から考えればあまりに短すぎることは明白。事実、本作においても猿たちの技術レベルは人類のそれを大きく下回っており、人間から奪った僅かな銃火器(=安全装置は付いていなかったのかなあ?)の他は馬や槍といった原始的な装備だけで人間に戦いを挑むのだが、まあ、レベルの差は歴然としており、簡単に返り討ちにあって戦争には発展しないというのが普通だろう。

それにもかかわらず、かなりの無理をして猿たちの勝利に結びつけてしまっているのは、“登場人物が理性的な判断をするのに必要な時間的余裕を与えない”という暗黙の前提から生まれた方便に過ぎないのだが、これを見て“やはり戦争というのは不可避なものである”なんて感心してしまうおっちょこちょいが湧いてこないか、ちょっと心配になってしまった。

ということで、まさか本作を含む三部作だけで前シリーズの一作目の状態にまで持って行こうとは考えていないと思うが、いずれにしても次回作を任される脚本家の責任は重大。前シリーズのように“人類の自滅”的なストーリーに持ち込めれば楽なのだろうが、本作からのつながりを考えるとなかなかそうはいかないような気がします。