ベン・ハー

今日は、妻と二人でウィリアム・ワイラーの大作「ベン・ハー」を見に行ってきた。

せっかくの休日ということで、本来なら日光あたりの紅葉見物に行きたかったのだが、残念ながら天気の方がいま一つパッとしない。妻に尋ねても特に見たい映画は無いとのつれない返事だったが、こんなときに役に立つのが“新・午前十時の映画祭”。「ベン・ハー」は俺も妻もTV等で見たことはあるが、映画館のスクリーンで見てみるのも悪くないだろう。

さて、暗くなった館内で真っ暗なままのスクリーンを見つめていると、いきなりあの“ジャジャーン”という序曲(¬=ミクロス・ローザ作曲)が館内に鳴り響き、これを聴いただけで何故か俺の心は安い名画座に足繁く通っていた学生時代へとタイムスリップ。途中の休憩時間を除く4時間弱の上映時間中、ゆったりとした風格に溢れる大作の魅力を堪能させていただいた。

昔、TVで放映される度に見ていたので記憶の方は完璧と思っていたのだが、実際はボロボロであり、特に戦車レースが終わった後、“業病”(=映像的にはハンセン病のように描かれている。)に纏わるストーリーがあんなに続いているとは思わなかった。まあ、これに関しては俺の記憶力の問題もあるだろうが、TV放映時に大幅にカットされていた可能性も高いと思う。

また、ゴルゴダの丘のエピソードに関して言えば、かなりユダヤ寄りに描かれているのが興味深かった。新約聖書ではキリストと直截的に対立するのはユダヤ人であり、ローマ人はむしろ中立的な傍観者として描かれていたように思うが、本作ではローマ人が積極的にキリストを磔刑に処したという印象が強く、当時(=第二次中東戦争の3年後)のアメリカ人はこのあたりをどのような気持ちで見ていたのだろうか。

ということで、最後はキリストの奇跡によって主人公の母妹の業病が快癒し、無事、ハッピーエンドを迎えるのだが、せっかくの大作のラストが主人公以外の者の手に委ねられてしまっているのはちょっぴり残念。しかし、山形孝夫風に解釈するならば、主人公が業病の谷に入り、母妹を連れ出した時点で彼女等の病は癒されていたということになるのでしょう。