2003年作品
監督 ソフィア・コッポラ 出演 ビル・マーレイ、スカーレット・ヨハンソン
(あらすじ)
落ち目の映画スターであるボブ・ハリス(ビル・マーレイ)は、ギャラの高い日本企業のCMに出演するため単身来日するが、順調とは言い難い仕事や家庭への悩みに加え、異国の地での言葉の通じないもどかしさもあって毎晩不眠症気味。そんなとき、同じホテルに宿泊していたシャーロット(スカーレット・ヨハンソン)という若い人妻と言葉を交わすようになるが....
引き続き、スカーレット・ヨハンソンが「ママの遺したラヴソング(2004年)」の前年に出演した作品を鑑賞。
中年男のボブに関しては、結婚生活に倦怠感を覚えてもおかしくない年齢であり、高額なギャラに釣られて日本くんだりまでやって来たことへの自己嫌悪もあるのだろうから、まあ、彼の悩みは分からないでもない。しかし、一方のシャーロットの悩みに関しては、あまりにも俺と境遇が違いすぎるせいか、全く理解できないのが困りもの。
大学の哲学科を卒業した“才媛”が、その才能を活かす道を見つけられないでいるという設定は分かるが、優しそうな旦那や日本の友人もいるし、いざとなれば一人で国内旅行も出来るのだから、何も草臥れた中年男に付き合ってもらう必要はないだろう。ひょっとしたら、彼女は一人静かに発狂していたボブの妄想の産物なのかもしれないなあ。
結局、アカデミー賞で脚本賞を取った程の作品にもかかわらず、いま一つ楽しめないのは、俺が日本人だからなんだろうね。アメリカでも日本語の会話に字幕が付けられなかったということからも分かるとおり、この作品の“可笑しさ”は、LとRの発音の区別も出来ない日本人とのコミュニケーションの困難さがベースになっている訳であり、日本人が見て笑えないのはいわば当たり前。
そんな日本人に残された楽しみは、ビル・マーレイの見事な演技を観賞することであり、本作の魅力の9割くらいは彼の功績といってもおかしくない。真面目くさった顔をして、CM撮影やTVのバラエティ番組への出演といった気乗りのしない仕事を淡々とこなしていく様はとても面白く、この役を演じられるのはもう彼以外考えられないくらい。
ということで、お目当てのスカーレット・ヨハンソンは相変わらず綺麗ではあったが、実存主義的な孤独や不安を抱えた若妻役というのはちょっと違和感が強すぎ。ソフィア・コッポラの(誤った?)自己投影の結果なんだろうけど、ここは無難に“寂しがり屋の女子大生”くらいにしておいて欲しかったところです。