ゴースト・イン・ザ・シェル

今日は、妻&娘と一緒に「ゴースト・イン・ザ・シェル」を見てきた。

個人的な本命はダニー・ボイルの「T2 トレインスポッティング」だったのだが、娘の第一希望はやや意外にもこの作品。予告編でスカーレット・ヨハンソンの肉襦袢姿を見せられて以降、急速に見る気力を失ってしまった作品なのだが、まあ、「T2〜」の方は妻の事前学習が済んでいないので仕方ないかと思いながらしぶしぶ(?)映画館へ足を運ぶ。

さて、ストーリーは、機械の体(=シェル)に人間の脳(=ゴースト)を組み込まれた公安9課のエリート捜査官である主人公が、自らの製造元(?)でもあるハンカ・ロボティックス社に対する妨害活動の捜査を進めていくうちに、自分にも関わる同社の重大な秘密に気付くというものであり、正直、それほど大した内容ではない。

おそらく、あの「マトリックス(1999年)」にも影響を与えたと言われるアニメ版「GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊(1995年)」と同様、本作もその独特の世界観やスタイリッシュなアクションシーンを楽しむといった系列に属する作品なんだろうが、困ったことにその世界観は「ブレードランナー(1982年)」の二番煎じだし、アクションの見せ方にいたっては「マトリックス」にさえ遠く及ばない。

まあ、スカーレット・ヨハンソンにあの肉襦袢を着せて喜んでいるルパート・サンダーズ監督(=そういえば「スノーホワイト(2012年)」もヒドかった。)に多くを求めるのは無理な相談なんだろうが、少なくとも彼女の肉感的なスタイルがサイボーグ向きでないことくらいは「アンダー・ザ・スキン 種の捕食(2013年)」を見ていなくても一目瞭然だと思う。

また、各方面で老害を撒き散らしているビートたけしの出番が比較的少なかったのは良いのだが、出演者の中で何故か彼だけが日本語のセリフを話していたのが面白い。ひょっとすると、日本語が失われていく風潮のなかで頑なにそれを守り続けている“サムライ”として描きたかったのかもしれないが、俺を含むほとんどの観客は“よっぽど英語が下手だったんだろうなあ”と思いながら見ていたと思う。(彼の日本語も聴き取りにくかったけどね。)

ということで、弱小学校法人の森友学園じゃあるまいし、政府とも関わりが深いと思われる大企業のハンカ・ロボティックス社を総理大臣のご英断(?)で切り捨ててしまうというまさかの展開には驚かされたが、元々現体制に不満を抱いていたはずの主人公が再びマッポの手先に復帰するというラストにはいったいどんな意味が込められているのでしょうか。