神は妄想である

リチャード・ドーキンスが数年前に発表してちょっと話題になった本。最近、キリスト教関係の本を読む機会が多いので、万が一のことを考え、宗教に対する耐性を付けておくために読んでみた。(?)

内容は、例のインテリジェント・デザイン論に対する批判に止まらず、とにかく宗教を徹底的に否定しようとするものであり、神の存在を否定する(=といっても、100%否定することは科学的に出来ないため、“ほとんど確実に存在しない”と表現されている。)とともに、宗教を“人類が進化の過程で体得した経験則の誤作動によって生じた副産物”に過ぎないと位置付け、その“道徳の根源”としての有用性までも否定してしまう。

そのあまりの徹底ぶりには、俺を含む無神論者の人達が読んでもちょっと驚いてしまうくらいであるが、まあ、それだけドーキンスが宗教の弊害を真剣に考えているということなんだろうし、その解決のためにはこれまで宗教との対立を好まない多くの無神論者に支持されてきた“科学と宗教は別物”というお行儀の良い考え方さえ有害ということなんだろう。

まあ、仮に宗教が何かの副産物だったとしても、蛾の焼身自殺行動がいつまで経っても終わらないように、神という絶対者の存在を求める人間の欲求を完全に抑えつけることはなかなか困難なことであり、特に様々な理由から現世に望みを持てないでいる人々に対して(その問題を解決することなしに)宗教を捨てよと命じるのは少々行き過ぎだと思う。

しかし、本書が(とりあえず)対象としているのはそんな人々ではなく、子供の頃の教育によって自覚のないままに受け入れてしまった宗教を今は“負担”と感じている人々(しかも、相対性理論量子力学の示す宇宙観に宗教の代わりになるような神秘性を感じ取ってくれるような知的な人々)であり、そのような人々に対してなら、本書の有効性はそれなりに高いのではないだろうか。

ということで、むしろ無神論が常識である日本人(というか俺)にとって、神の不在によって生じている筈の隙間を埋めているものは一体何なんだろうと考えているのだが、残念ながらなかなか良い答えが思いつかない。最初っからそんな隙間は存在しないような気もするのだが、意外に結構グロいものが神の代わりになっているのだとしたら、正直、ちょっと堪りませんね。