チェンジリング

妻からのリクエストにお応えして、今日、家族で「チェンジリング」を見てきた。もっぱら娯楽映画しか映画館に見に行かない我が家の基準からすれば、今回は相当異色の選択であるが、まあ、“誘拐された息子が戻ってくると、それは全くの別人だった”というTVコマーシャルがそれだけ効果的だったのだろう。

作品の冒頭は、まさにTVコマーシャルのとおりであり、シングル・マザーのクリスティンが仕事に出かけている最中に一人息子のウォルターが行方不明になってしまう。そして、それから5ケ月後、警察から彼が見つかったという連絡が入り、喜び勇んで駅まで迎えに行くと、そこに居たのは息子とは似ても似つかぬ他人の子。しかし、何故か彼は彼女のこと“ママ”と呼ぶ・・・

と、ここまでは予想どおりの展開で、我が家としては、クリスティンに降りかかったこの悪夢のような陰謀の正体を知るためにわざわざ映画館までやって来た訳であるが、うーん、ここから先の展開は、“陰謀”というのとは相当違うような、むしろ、どちらかというと“人違い”みたいなレベルの話しになっていて、正直、少々困惑気味。

まあ、見終わってみればなかなか立派な主張を持った作品であり、本作のために相当の減量までしたらしいアンジェリーナ・ジョリーの熱演(と萎びた唇)はとても印象的だった。したがって、全然つまらないなんて主張するつもりはないが、我が家としては、カツカレーでも食べようかと気軽にレストランに入ったら、そこで会席料理を出されたというような感覚であり、いまひとつ素直に感動することができない。

もちろんTVコマーシャルは間違っていないし、監督がクリント・イーストウッドだというヒントも与えられていた以上、もう、悪いのは間違いなくこっちのほうなんだけど、おそらく、本作を見たうちの相当数の皆さんは我が家と同じ印象を受けたんじゃないのかなあ。

ということで、後で冷静になって再見すれば、おそらくもっと違った感想になると思うんだけど、いずれにしても、あの“人違い”をクリスティンの“勘違い”で押し通せると判断した警察側の感覚は相当狂っており、それに気付かなかった我々もその被害者の一人ということになるのでしょうか。