聖メリーの鐘

1945年作品
監督 レオ・マッケリー 出演 ビング・クロスビーイングリッド・バーグマン
(あらすじ)
オマリー神父(ビング・クロスビー)が赴任した聖メリー教区には学校が付属しており、教育熱心なベネディクト尼(イングリッド・バーグマン)が校長を務めていた。しかし、その校舎は老朽化が進んでおり、校庭の一部を売却したお金で行った補強工事も焼け石に水。このまま建替資金の目途が立たなければ、廃校にするしかないような状況だった….


レオ・マッケリーの製作・監督による「我が道を往く(1944年)」の続編。

売却した校庭の跡地には、現在、立派なビルが建築中であり、そのオーナーで市議会議長でもある実業家のボダーガスは、隣接する学校を廃校にして跡地をビルの駐車場として利用したいと考えている。これに対し、ベネディクト尼の方は、建築中のビルが完成したら、ボダーガスがそれを学校に寄付してくれるよう、毎日、神に祈っていると言う。

まあ、本作をコメディーとして成功させるなら、このベネディクト尼の現実離れした経営感覚を笑いものにするのが一番の早道だと思うが、真面目なレオ・マッケリーはイエス様(あるいは、彼に輪をかけて真面目なバーグマン?)に気兼ねをしたせいか、そこで笑いを取るようなストーリーにはなっていない。

また、生徒に対する教育面でもオマリー神父とベネディクト尼とは何度か意見を異にする場面が登場するが、いずれもベネディクト尼の方に分があるように思えてしまう内容であり、これをネタにして彼女をからかう訳でもない。(問題児であるパトリシアの卒業に関するエピソードでは、結果的にオマリー神父の意見が正しかったことになるが、それは彼が彼女に関する正確な情報をベネディクト尼に伝えていなかったせいだろう。)

確かに、前作「我が道を往く」では、オマリー神父のあまりの万能ぶりにちょっとシラケてしまわないでも無かったが、逆に、本作での彼はほとんど何もしていないような印象が強い。ラストの感動的(?)な“種明かし”にしても、彼がもっと早くに決断していればベネディクト尼に不要な心労を掛けずに済んだものと思われる。

ということで、同じ人情喜劇を得意とする監督ということから、フランク・キャプラなんかと一緒に論じられる機会が多いレオ・マッケリーであるが、本作をみても、その実力がキャプラに相当及ばないことは隠しようのない事実。ただし、その誠実そうな演出ぶりには好感が持てるし、本作ではバーグマンの尼僧姿だけでなく、彼女の歌声やボクシング・シーンといった珍しい映像が見られるので、まあ、見てみても決して後悔はしないでしょう。