1949年作品
監督 ロベルト・ロッセリーニ 出演 イングリッド・バーグマン、マリオ・ビターレ
(あらすじ)
1948年のイタリア。難民キャンプに収容されていたリトアニア出身のカーリン(イングリッド・バーグマン)は、アルゼンチンへの移民を希望するが、書類不備のため却下。やむを得ず、そこで知り合ったアントニオ(マリオ・ビターレ)と結婚し、彼の故郷であるストロンボリ島へ向かうが、そこは石ころばかりで作物も実らない不毛な火山島であり、島の人々も余所者の彼女に対して冷たく当たる….
イングリッド・バーグマンがロベルト・ロッセリーニと組んだ第一作目。
主人公のカーリンは、リトアニアに対するナチス・ドイツの侵略から逃れる途中に夫と死別、その後一人でイタリアに密入国したらしい。アントニオのことは少々頼りなく思っていたものの、アルゼンチン移民の夢が絶たれたことから、次善の策として彼と結婚し、ストロンボリ島へやってくるが、結局、そこも彼女が望んでいたような場所ではなかった。
まあ、自分に同情的な牧師やイタリア本国からやって来た灯台守を誘惑してまで、何とか島から抜け出そうとするカーリンは、男たちに従属しているだけの島の女たちに比べ、随分と“進歩的”に見えるのだが、実際は、亡夫→アントニオ→牧師→灯台守というように、男に頼らないと生きていけない点ではほとんど変わらない。
島の反対側へ向かうため、身重の体で火山を越えようとした彼女は、剥き出しの自然の圧倒的な力の前で自らの無力さとそれまでの過ちを悟り、神の力にすがりながらも、女としての“自立”に目覚めるのだが、残念ながら、具体的にどうすれば良いのかはこれからの問題であり、映画自体もそのシーンの直後、いささか唐突気味に終わってしまう。
実在するストロンボリ火山の噴火や血まみれのマグロ漁のシーンなど、映像的にはドキュメンタリータッチな迫力あるシーンが目立つが、内容的にはむしろ観念的な筋立てを有する作品であり、そんなところは「ヨーロッパ一九五一年(1952年)」に通じるところがある。ラストシーンでカーリンが救いを求める神も、イエス・キリストというより、もっと原初的な神をイメージしているように思えた。
ということで、公開当時34歳のイングリッド・バーグマンはまだ十分に美人なのだが、その美しさが否定的にしか扱われていないという、かなり厄介な作品。決して失敗作だとは思わないが、昔のプロレタリア文学を読んでいるような重苦しい雰囲気は、やっぱりちょっと苦手です。