山椒魚戦争

カレル・チャペックの代表作であり、SFの古典と言われる「山椒魚戦争」を読んでみた。彼の作品を読むのは、戯曲「R.U.R.」、エッセイ「園芸家12ヶ月」に続き、本作が3作目。

物語は三部に分かれており、第一部では言語を解する山椒魚の発見から、それを安価な労働力、すなわち奴隷として全世界に大量に供給するまで、第二部では山椒魚の知的成長に伴って世界中で発生する様々なエピソード、そして第三部では山椒魚の反乱によって人類が滅亡の危機に瀕する様が語られている。

ちょっと意外だったのは、人類を滅亡に追いやる山椒魚の知的レベルが決して高くはなく(=せいぜい人間と同じか、ちょっと下っていう感じで、決してスーパー山椒魚が登場する訳ではない。)、道具や食料、そして武器の調達を人間に頼らざるを得ないというところ。したがって、これらの供給をストップしさえすれば人間は山椒魚を絶滅することも可能な訳であるが、そこが資本主義&ナショナリズムの悲しさ、目先の利益を追求する各国は協調した行動を取ることができない。

一方、山椒魚の方は、(少なくとも初期の頃は)芸術や思想には興味がなく、あくまでも実用的で没個性的な思考回路を有することから、容易に一致団結することが可能である。まあ、本作が発表されたのが1935年から1936年という、まさに第二次世界大戦前夜だったことを考えれば、そこに資本主義v.s.全体主義の対立の構図を読み取ることは容易であろう。

ということで、現在の資源・環境問題みたいなものへの認識は薄く、正直、SFとしては相当の古臭さを感じざるを得ないところであるが、作品全体に漂うペシミスティックなユーモア感覚は捨てがたい魅力。また、第二部に見られる、様々な架空の文献からの引用を多用する手法は、当時としては斬新な試みだったのではなかろうかと思いました。