令嬢ジュリー

1951年作品
監督 アルフ・シェーベルイ 出演 アニタ・ビョルク、ウルフ・パルメ
(あらすじ)
ヨハネ祭の前夜。伯爵令嬢のジュリー(アニタ・ビョルク)は、使用人たちが広場で男女入り乱れての乱痴気騒ぎを繰り広げる様を屋敷の窓から眺めていた。やがて、納屋の中でダンスが始まると、彼女もそこへ出かけ、ちょうど出先から戻ってきた下男のジャン(ウルフ・パルメ)と一緒にダンスを踊った….


スウェーデンの劇作家、アウグスト・ストリンドベリの戯曲を映画化したもの。

スウェーデン映画というと、古くはイングマール・ベルイマン、比較的最近ではラッセ・ハルストレムの作品くらいしか見たことがなかったんだが、本作は1951年のカンヌ国際映画祭においてグランプリ(=今でいう“パルム・ドール”)を獲得した名作ということで、後学のために見てみた。

ジュリーの母親は平民の出身で、しかもかなり進歩的な女性だったらしく、彼女の考えにより、幼い頃のジュリーは男の子の格好をさせられ、農作業の手伝いなんかもさせられながら育てられたという設定。そのせいかどうかは判らないが、大人になってからのジュリーの性格も相当複雑であり、貴族としての気位も高い一方、自由気ままな平民の暮らしにも憧れめいたものを抱いているらしい。

ハンサムで上昇志向の強い下男のジャンに対しても一定の興味はあるが、二人の関係はちょっとSMチックであり、彼が少しでも生意気な態度を見せると平手打ちも辞さない。しかし、“子供の頃から憧れていた”という彼の告白を聞いた彼女は、祭りの高揚感も手伝って彼に身を任せてしまうんだけど、それによって両者の依存関係は一気に逆転してしまう。

まあ、ラストは悲劇的な結末となってしまい、その悲劇の遠因となった今は亡きジュリーの母親の肖像画のアップで作品は終わる訳なんだけど、う〜ん、おそらく彼女(=母親の方)にも彼女なりの考えがあったに違いなく、その弁明も聞かずに彼女を一方的に悪者にしてしまうのはちょっと納得できないかなあ。

ということで、北欧における白夜のヨハネ祭という状況設定はなかなか興味深かったものの、監督も俳優も馴染みのない人ばかりだったため、ちょっと取りつく島が無いっていう感じの作品。出来れば、今のフェミニストの方々に鑑賞していただき、その感想なんかも聞いてみたいところです。