わが町

1956年作品
監督 川島雄三 出演 辰巳柳太郎南田洋子
(あらすじ)
明治39年、フィリピンで過酷なベンゲット道路の建設工事に従事していた佐度島他吉(辰巳柳太郎)が、久しぶりに大阪天王寺の裏長屋へと帰って来る。日本を離れる前に情を交わしたお鶴(南田洋子)がそのときに身籠った幼子を女手ひとつで育てていることを知り、他吉は彼女とヨリを戻すが、間もなく彼女は急病で倒れ、帰らぬ人となってしまう….


川島雄三が「洲崎パラダイス 赤信号(1956年)」と同じ年に公開した作品。

“ベンゲットの他ぁやん”こと佐度島他吉は、多くの犠牲者を出しながらも、他国の労働者が成し得なかったベンゲット道路建設工事を成功させたことが大の自慢。“人間は身体を責めて働かなあかん”というのが彼の口グセであり、事実、彼自身も車夫をしながら娘と孫娘を男手ひとつで立派に育て上げてきた。

全体としては、川島作品にしてはちょっと珍しいくらいにストレートな人情劇であるが、ラスト近く、孫娘の結婚相手である次郎が他吉のことを“そんな昔気質の生き方が、ベンゲット道路建設工事で命を落とした人ばかりでなく、自分の家族までも不幸にさせてきた”と批判する辺りからやや作品の雰囲気が変化し、幾分悲劇的な色彩が強まってくる。

その点がちょっと気になったので、見終わってから青空文庫織田作之助による原作のラスト部分を斜め読みしてみたんだけど、やっぱりこの次郎のセリフは映画のオリジナル。しかも、原作では孫娘が次郎と付き合うようになるのは太平洋戦争開戦前のことなのに対し、映画の方ではそれを戦後の出来事にあえて変更していた。

おそらく、大東亜共栄圏の建設という美辞麗句でもって国民を戦争へと引きずり込んでいった軍部とそれを支持した世代に対する批判的な意味をあのセリフに込めようとしたんじゃないかと思うんだが、それが映画的に成功したかというとちょっと微妙なところかなあ。少なくとも、一般の人情劇のように美しい涙を流してスッキリと見終われるような作品にはなっていなかった。

ということで、主演の辰巳柳太郎も悪くないが、それ以上に北林谷栄殿山泰司といった脇役陣の存在感がとても素晴らしい。明治後期から戦後までの約40年間にわたる物語なんだけど、この間におけるそのお二人のフケ方は悲しいまでに自然であり、本作のちょっと芝居じみた設定に見事なリアリティを持たせることに大きく貢献しています。