ミスト

今から30年近く前、「闇の展覧会」というホラー小説のアンソロジースティーヴン・キングの中編「霧」を読んだとき、ちょっと感激して周囲に“キングの最高傑作”と触れ回った記憶がある。この度、その作品がフランク・ダラボンの手によって映画化されたということで、早速、映画館で見てきた。

この監督については、世評に高い「ショーシャンクの空に(1994年)」を見たときは“キングの小説をそのまま映画化しただけじゃん”と思ったものの、まあ、それさえ満足に出来ていない作品が多い中、彼の素直で丁寧な仕事ぶりには好感を持っていた。

そのため、本作を見るときも原作の素直で丁寧な映画化を期待していたんだが、その期待は最後の最後で見事に裏切られた。確かに、原作のラストは一般的には“中途半端”と批判されても仕方ない終わり方であり、映画化に当たってもっと話題性のあるメリハリの利いたエンディングを用意したいという考えは理解できないではない。

しかし、原作ファンにとってみれば、当然、あのラストはクトゥルー神話の幕開きにつながっている訳であり、決して中途半端な終わり方ではない。確かに原作のラストにも“一縷の望み”みたいな記述はあるが、「渚にて」のモールス信号の例を引くまでもなく、あれが絶望感を際立たせるためのスパイスにすぎないことは火を見るよりも明らかである。

したがって、そのクトゥルー神話の神々をたかが米軍の火炎放射器如きで焼き殺したダラボンの蛮行は到底許されるべきものではなく、俺的には早くも今年の映画ワースト1決定という感じである。彼には、ホラー小説ファンに対するせめてもの罪滅ぼしとして、「狂気の山脈にて」あたりを今度こそ原作に忠実に映画化して欲しいと思う。

ということで、ネット上は本作に対する非難の嵐かと思ってちょっと覗いてみたところ、意外にも好意的なコメントが多いのには正直驚いた。しかも、あのラストから“人間の傲慢さに対する批判”とか、“最後まで諦めないことの大切さ”みたいな教訓を読み取ろうとする人までいらっしゃる始末。

まあ、他人が本作からどんなメッセージを受け取ろうと別にかまわないんだけれど、あのラストにおける主人公の行為を非難するのはあくまでも結果論にすぎず、どう考えてもフェアな態度とは思えない。いくらダラボンが計算高くなったからと言って、そこまで堕落したと考えるのは可哀そうだろう。

ちなみち、本作はR-15指定ということで、妻と娘は同じ映画館で「相棒 劇場版 絶体絶命! 42.195km 東京ビッグシティマラソン」をほぼ同時に見ていた。実は「クレヨンしんちゃん ちょー嵐を呼ぶ金矛の勇者」も上映中だったんだけど、娘もそっちにはあまり興味がない様子で、うーん、ちょっと寂しいですな。