ハリケーン

1937年作品
監督 ジョン・フォード 出演 ドロシー・ラムーア、ジョン・ホール
(あらすじ)
南洋のフランス領マヌクラ島に住む美しい娘マラマ(ドロシー・ラムーア)は、航海士として働いているテランギ(ジョン・ホール)と愛し合い、めでたく結婚。彼は仕事で出かけたタヒチ島で事件に巻き込まれ、フランスの法律により投獄されてしまうが、同じフランス人であるマヌクラ島の総領事は彼を助けようともしない。何よりも拘束されることを嫌うテランギは、その後脱走を繰り返すもかなわず、いつしか8年余の月日が過ぎてしまった….


フォードが「駅馬車(1939年)」の2年前に撮った作品。トーマス・ミッチェルとジョン・キャラダインはこっちにも出ている。

南の島でフランス流のルールを押しつけようとする総領事とそれに抵抗する島民っていうのが物語の基本的な構図になっていて、トーマス・ミッチェル扮するお医者さんや神父さんは島民の味方。総領事は、何度目かの脱獄に成功して島に戻ってきたテランギを捕まえようとするんだが、まさにそのとき超特大のハリケーンが上陸!

このハリケーンが物凄い迫力で、ストーリー的には“フランス流のルールを象徴する領事館は吹き飛ばされるが、神のご威光によって教会は助かる”っていうのもあったのだろうが、あにはからんや教会は見事に破壊され、そこに逃げ込んだ島民も神父さんと一緒に絶命。いやー、「宇宙戦争(1953年)」じゃないけど、教会筋の方々が見たら気を悪くするんじゃないの?

しかも、ハリケーンの威力はそれに止まらず、島民の家や自然に生えている木や草まで根こそぎ吹き飛ばしてしまい、残ったのは剥き出しの地肌のみって、本当にそんなハリケーンってあるのかね?? まあ、そのおかげでこの作品の“社会性”みたいなものが一緒に吹き飛ばされてしまったことは、個人的には評価するけど….

一方、主演のお二人は原住民の方々という設定なのだが、名前以外それ風に見せようとする努力の跡がまったく見られないのは、ハリウッド映画の限界。何といってもドロシー・ラムーアのエキゾチックな容姿を観客にたっぷりご覧いただくっていうのが、この作品の企画意図の9割くらいを占めているのだろうから、これは仕方ないところでしょう。

それと、昨日「残菊物語(1939年)」を見たばかりだから余計そう思うんだが、昔の日本の映画って今見ると映像とか音響とか悪いよね。この「ハリケーン」のほうが2年前の公開だし、メーカーがあのIVCなのにもかかわらず、こっちのほうがずーっと状態が良い。これって当時の技術力の差? それとも名画を保存しようとする意識・体制の差?