孔雀夫人

1936年作品
監督 ウィリアム・ワイラー 出演 ウォルター・ヒューストン、ルース・チャッタートン
(あらすじ)
サム・ダズワース(ウォルター・ヒューストン)は一代で築き上げた自動車会社を売り払い、安らかな老後を過ごすべく、妻のフラン(ルース・チャッタートン)とヨーロッパ旅行に旅立った。しかし、自分の美貌に自信があるフランは、夫と共に“老いる”ことを拒否し、旅先で知り合った異邦の男性達と恋のアバンチュールを楽しんでいた….


ワイラーの初期の代表作の一つ。

物語は壮年期に差しかかろうとする夫婦の危機を描いているのだが、監督のワイラーはこのとき34歳! この年齢で、この地味〜なテーマを品格ある作品にまとめ上げた演出力は、流石のひとこと。舞台劇の映画化ということであるが、フランの浮気相手がサムからの手紙に火を付けるという有名なシーンは、撮り直しが可能な映画ならではの名シーンであり、未来の巨匠の面目躍如たるところでしょう。

作中、夫のサムは典型的なアメリカ人として描かれており、文化や伝統といった点ではヨーロッパ諸国に遠く及ばないことは認めながらも、進取の気性に富んだアメリカ人としての誇りは持ち続けている。一方、フランのほうはアメリカ人がヨーロッパで田舎者扱いされることに我慢ができず、そんなことを一向に気にしない夫を軽蔑している。

一見するとフランの方がプライドが高そうに見えるのだが、彼女のプライドはヨーロッパ人に認めてもらうことによって辛うじて維持される弱々しいもので、実はサムの方が余程しっかりとしたプライドの持ち主なのだろう。

まあ、そんな訳で、アメリカ人の観客に対する“受け”も考慮し、ストーリーはフランが憎まれ役で、サムに観客の同情が集まるように進んでいくのだが、ラストの仕打ちはあまりにもフランが可愛そう。

確かに、一緒に安らかな老後を過ごしたいというサムの願いをフランは裏切ったわけであるが、そもそもその計画の設計段階においてフランの意向がどの程度考慮されたのか大いに疑問だし、最後にサムと結ばれる未亡人の“夫がいないと生きている意味がない”的な生き方もどうかと思う。

ということで、ストーリー的には一部受け入れ難い部分もあるが、こんな地味なテーマと地味な俳優にもかかわらず、最後まで観客の興味を持続させる作品に仕上げられていることは確か。団塊の世代のリタイアが本格化する昨今、この作品を現在の価値観でリメイクしてみるのも面白いかもね。