ガラパゴスの箱船

この間読んだ「ららら科學の子」にカート・ヴォネガットの「猫のゆりかご」が出てきたのだが、それがきっかけで本棚に「ガラパゴスの箱船」が未読のまま積まれていたことを思い出し、急遽読んでみることになった。

出版されたのが1986年で、すぐ購入したはずだからもう20年も昔のことになるのだなあ。ちょうど結婚した頃で俺も色々と忙しかったし、この当時はヴォネガットも精力的に新作を発表していたため、毎回付き合うのにちょっと飽きが来ていたのかもしれない。

で、20年ぶりに読んだ感想だが、やっぱりヴォネガットはいいね。彼はどちらかというと若者向けの作者だと思うが、幸い(?)この歳になっても十分楽しめた。例によって奇妙な理論をベースに、奇妙な表現方法を採用して人類の末路を淡々と描いていく訳であるが、こうも作品ごとに(決して卓越しているとは言えないにしろ)新しいアイデアを投入していこうとする姿勢には頭が下がる。

物語はエクアドルの某ホテルのシーンから始まるのだが、本の半分を超えるあたりまでほとんど時間が動かない。物語の“現在”に至るまでの経緯やその後の展開はナレーター(あのキルゴア・トラウトの息子!)によって語られるので物語の全体像はいち早く理解できてしまうのだが、現実のほうが彼の語る未来になかなか追いついていかないので読んでいてちょっとストレスが溜まってくる。

ところが、いったん物語が動き出すとあれよあれよという間に数十年の時が経過し、一気にエンディングまで突き進んでしまうのだが、これはヴォネガットの計算なのだろうか。まあ、読み終わってみればストレスは見事に解消されているので問題はないのだが、まるでディズニーランドのスプラッシュ・マウンテンのような構成でした。

それにしても、“進化”によってアザラシのような知能と体型を獲得した人類の末裔が群れで砂浜に寝そべっているとき、誰か一人がオナラをすると全員がクスクス笑うんだそうなんだが、このささやかなエピソードが読者に与える印象はいったい何と表現したら良いのだろう? 可笑しさと哀しさのなかに奇妙な平穏が伝わってくる。

まあ、同工異曲の作品を書きまくる最近の作家たちに比べたら、むしろヴォネガットのほうが素人くさいのかもしれないが、その素人っぽい誠実さが彼の作品に確かな重みを与えていることも事実である。そういった作風のためか、もう新しい長編を発表する予定はないとのことであるが、幸い俺には未読の作品がいくつか残っているようなので、今度また読んでみることとしよう。