一度きりの大泉の話

萩尾望都が“大泉時代”の記憶を綴った「人間関係失敗談」。

ちょっと前に購入しておいたのだが、中上健次の「地の果て 至上の時」を読み終えるのに思ったより手間取ってしまい、なかなか手に取ることができずにいた。しかし、その反動もあってか、本書を読み始めるや否や、すっかりその平易で誠実感にあふれる文章の虜になってしまい、おかげで(決して楽しい話ではないにもかかわらず)最後まで楽しく読み終えることができた。

さて、内容は、漫画家として独り立ちしようとしていた頃の著者の日常が綴られているのだが、読んでいてまず驚かされるのは、「ポーの一族」や「トーマの心臓」といった傑作を次々に生み出していた当時の彼女が、実は不安や迷いを抱いた普通の若者でしかなかったという事実。まあ、多少の謙遜はあるのだろうが、その“自信の無さ”は俺の思い描いていた“天才”のイメージからは程遠いものだった。

しかし、こういった“無自覚な天才”ほど周囲の人間にとって不気味な存在は無いはずであり、その一番の“被害者”が当時の竹宮惠子だったのかもしれない。そう考えれば彼女が取った行動も理解できない訳ではないのだが、まあ、いずれにしても先に“手を出した”のは竹宮の方であり、仮に謝るのだとしたら彼女のほうが先にすべきなんだろうと思う。

ということで、本書の持つ“誠実感”の魔力は非常に強力であり、夜中ベットに横になって読んでいると、我が家の片隅から、若かりし頃の著者が一心にGペンを走らせているときのカリカリ音が聞こえてくるような気がする。大泉のことはこれで終わりして頂いて結構なのだが、是非、その後の漫画家生活のウラ話等についても文章化して欲しいものです。

尾瀬ヶ原のミズバショウ、再び

今日は、妻と一緒に群馬県尾瀬ヶ原を歩いてきた。

5月は妻の誕生月であり、いつもなら東京ディズニーランド方面に遊びに行くところなのだが、コロナ禍の影響で引き続きの“自粛”はやむを得ないところ。その代わりに彼女からリクエストされたのが尾瀬ヶ原ミズバショウ見物であり、お安い御用ということで午前6時過ぎに戸倉の第一駐車場に到着する。

無風快晴という絶好のハイキング日和であるが、平日ということもあって駐車場はまだ三分の一くらいしか埋まっておらず、マイクロバスに乗り換えて3年ぶりとなる鳩待峠へ。身支度を整えて7時10分に歩き出すが、周囲の人影は疎らであり、これなら静かな山歩きが楽しめそう。尾瀬ヶ原に向かう木道上に積雪は残っておらず、一足早いミズバショウの出迎えを受けた後、8時1分に山ノ鼻に着く。

ここから先、しばらくの間はミズバショウの世界が広がっており、清楚な白い花が広大な湿原を埋め尽くしている。近寄って見るとやや成長しすぎた株が目立つ故、最高の状態は幾分過ぎているのだろうが、青空の下で眺めるこの美しく開放的な風景はコロナ禍による憂鬱な気分を一掃してくれる。

そんな最高の雰囲気の中を牛首分岐(8時49分)~竜宮(9時32分)~ヨッピ吊橋(10時17分)~牛首分岐(11時3分)と周回し、11時47分に山ノ鼻まで戻ってくる。のんびり歩いたおかげで再出発(12時19分)後も妻の歩行スピードが落ちることはなく、13時26分に鳩待峠に戻ってくる。本日の総歩行距離は17.1kmだった。

ということで、再びマイクロバスに乗って第一駐車場まで引き返し、日光市内でニルヴァーナのチーズケーキを購入してから無事帰宅。残念がら大堀川周辺のミズバショウは見頃を過ぎていたが、至仏山と燧ヶ岳の美しい姿を眺めながらのハイキングは爽快そのものであり、これからも繰り返し訪れることになると思います。

中上健次全集6

長編の「地の果て 至上の時」を収録。

この作品は、作者の代表作である「枯木灘」の続編に位置づけられる内容であり、前作の最後で異母弟を撲殺してしまった主人公の秋幸が3年の刑期を終えて故郷である熊野の地に戻ってくるところから始まる。したがって、(少なくとも前半くらいは)殺人という罪を犯してしまった主人公の悔恨みたいなものがテーマになるのかと思ったが、予想に反して(少なくとも表面的には)そのような苦悩はほとんど描かれていない。

それでは何が描かれているかというとこれがなかなか難しい問題であり、正直、一口で説明できるような明確なテーマは見当たらないといって良い。その最大の原因は主人公とその不倶戴天の仇であった実父の浜村龍造との“関係修復”にあり、3年ぶりに故郷に舞い戻った主人公は自ら望んで龍造の経営する木材会社で働くことになる。

まあ、その背景には、主人公のアイデンティティの拠り所であった“路地”の消滅とそれに伴う母方と父方との対立構造の変化という特殊事情があるのだが、それにしてもこの“関係修復”はあまりにも唐突であり、なかなか主人公の気持ちを理解することができない。また、母方から父方へと陣営が移動することによって主要登場人物にも大きな異動があるのだが、残念ながら新メンバーの中に魅力的なキャラは見当たらず、正直、読み進めるのが次第に辛くなってくる。

さらに問題なのはその文体であり、少々作者の“独りよがり”感の強い文章表現は、正直、読んでいてとても分かりづらい。これは前回「枯木灘」等の作品を読んだときにはほとんど気にならなかった問題であり、その後、「地の果て 至上の時」を発表するまでの6年間において一体作者にどのような心境の変化(?)があったのだろうか。

ということで、読み終えるまでに予想外の時間を要してしまったが、正直、読後感は微妙なところであり、ラストにおける龍造の縊死が意味するところもまだ十分理解することができずにいる(=いろいろな説明が可能だが、そのどれが“正解”なのかを判断するヒントが決定的に不足していると思う。)。また、ほとんどヤクザ化してしまった主人公にこれ以上感情移入することは困難であり、ひとまず秋幸サーガとのお付き合いはこれまでにしておこうと思います。

大入道のシロヤシオ

今日は、妻と一緒に矢板市の高原山周辺を歩いてきた。

本当は地元紙で紹介されていた那須ミネザクラを見たかったのだが、天気予報によると強風のようであり、前日のうちに高原山のシロヤシオへと目的を変更。そうはいってもこちらも混雑は必至であり、駐車場確保のためにできるだけ早出したかったのだが、妻からの“あと30分寝坊させて”との要望を聞き入れてしまったため、午前7時前に着いた小間々の駐車場に空きはない。大間々も満車だったが、係員の誘導に従って何とか駐車場の南端に駐車することができた。

身支度を整えて7時9分に出発すると、先を行く妻がいきなり小間々方面に向かって降りて行く。確かに当初の予定は“小間々から反時計回りに周回”だったが、最初に下ってしまうのは感覚的にそれなりの抵抗感があるんだよなあ。しかし、時計回りと反時計回りのどちらが楽なのかは容易に判断できず、仕方がないのでおとなしく彼女の後を付いていくことにする。

キャンプ場(7時37分)を横断して先に進んでいくと2回の渡渉があるのだが、どういう訳か2度目の渡渉のところで道を間違えてしまい、次第に踏み跡が不明確になっていく。しかし、GPSで確認するとこのまま進んでいけば正規のルートに合流できそうであり、薄い踏み跡をたどって8時27分に無事復帰。誠に情けない話だが、まあ、少々退屈な序盤の良い刺激にはなった。

さて、ここまでもそれなりの数のシロヤシオが見られたが、8時58分に着いた大入道のシロヤシオは見事であり、質・量ともにこれまで見た中では最高かもしれない。まだ5分咲き未満の株もあるので満開はもう少し先なのだろうが、その分、花弁の状態は白く瑞々しいままなので不満は無い。そんな状態は縄文躑躅(9時22分)の先までずっと続いており、満開のミツバツツジも加えて久しぶりの花見を心ゆくまで楽しんだ。

そんな中、剣ヶ峰(10時28分)の手前で妻が“急に足が重くなった”と言い出したのでちょっと心配になったが、どうやら体温の低下が原因だったらしく、剣ヶ峰での小休止とウインドブレーカーの効果で元気回復。その後、矢板市最高地点(11時1分)~八海山神社(11時12分。ここで20分程の休憩)と歩いて12時29分に大間々の駐車場に戻ってくる。本日の総歩行距離は8.6kmだった。

ということで、途中、auのCMで有名になった川﨑城址公園の「ともなり橋」を見学し、モスバーガーで遅い昼食を調達してから無事帰宅。我が家の記録によると、大入道のシロヤシオに出会えたのは7年ぶりの快挙であり、これは誠に喜ばしいことなのだが、周回に要した時間を比較してみると前回(=大間々から時計回り)より45分ほど遅くなっており、これは反時計回りに歩いたことの影響ばかりとは言えないような気がします。
f:id:hammett:20210527130845j:plain

ザ・バンド かつて僕らは兄弟だった

2019年
監督 ダニエル・ロアー 出演 ロビー・ロバートソン、レヴォン・ヘルム
(あらすじ)
1943年にカナダのトロントで生まれたロビー・ロバートソンは、13歳のときにラジオで聴いたロック・ミュージックに衝撃を受け、ギタリストとして音楽活動を開始する。1959年に人気歌手ロニー・ホーキンスに楽曲を提供したロビーは、それがきっかけとなってホーキンスのバックバンド“ザ・ホークス”に参加。すでにそのバンドのドラマーとして活躍していたレヴォン・ヘルムと運命的な出会いを果たすことになる…


ザ・バンドの結成から解散までの経緯を描いたドキュメンタリー映画

正直、ザ・バンドの大ファンという訳ではないのだが、1974年に発表されたディランとのライブ盤「Before the Flood」や解散コンサートの様子を収録した「The Last Waltz」は、今でも時々山歩きのBGM(?)に利用させて頂いている愛聴盤であり、本作がU-NEXTのラインナップに加えられるのを待って早速見てみることにした。

さて、ロビー・ロバートソンとレヴォン・ヘルムの不仲はファンの間では有名な話であるが、本作の原題は「Robbie Robertson and The BAND」であり、明らかに前者の視点に立って描かれていると言って良いだろう。したがって、ロビー・ロバートソン抜きで1983年以降に行われた“再結成”には全く触れられておらず、1976年のラスト・ワルツ以降に関しては各メンバーの消息を簡単に紹介しただけであっさり幕を閉じてしまう。

しかし、ラスト・ワルツまでの(表の?)歴史については古くからのロック・ファンにとっては周知の事実であり、本作を見ていても“懐かしさ”は感じるものの、新たな驚きはほぼ皆無と言ってよい。本作で初めてザ・バンドを知る人たちにとっては有益な内容なのかもしれないが、う~ん、そんな人間って本当にいるのかしら?

特に残念だったのはレヴォン・ヘルム側からの生の主張、反論が全く取り上げられていないところであり、晩年の彼が経済的に困窮していたという印象だけを与えたまま終わらせてしまうのは、まさに“死人に口なし”以外の何ものでもない。これは「ボヘミアン・ラプソディ(2018年)」を見たときにも感じたことであるが、遺族や友人へのインタビュー等、既に亡くなっている側の主張もきちんと紹介すべきだと思う。

ということで、“The Weight”にしても“The Night They Drove Old Dixie Down”にしても、これらが名曲に仕立て上げられる過程においては間違いなくメンバー全員のアイデアやテクニックが費やされている筈であり、特にリード・ボーカルを担当したリヴォン・ヘルムの貢献は決して作詞作曲を担当したロビー・ロバートソンのそれに引けを取るものではない。そう考えると著作権というものはなかなか厄介な問題なのかもしれません。

鶏頂山から釈迦ヶ岳

今日は、妻と一緒に日光市の鶏頂山周辺を歩いてきた。

この週末は中禅寺湖周辺のアカヤシオが見頃だそうであり、久しぶりに社山にでも行こうかと妻と相談。しかし、混雑は必至であり、別の山の話をしているときに妻が“鶏頂山”という名前に反応を示す。まあ、花見には早いだろうが、その分、空いているだろうということで協議が成立し、午前7時過ぎに赤い鳥居の立つ西口登山口の駐車場に到着する。

意外にもそこには7、8台くらいの車が停まっており、県外ナンバーの車もチラホラ。鶏頂山がそんなに人気があるというのは知らなかったが、これでは大間々台の駐車場は大混雑だろうと思いながら7時18分に出発。鳥居をくぐって明確な登山道を歩いていくと、しばらく先で旧スキー場のゲレンデに出られたようであり、広くなった登山道(=道端には昨夜(?)の降雪が消えずに残っていた。)を進んで8時13分にゲレンデ最高地点。そこには何故か一脚の白い椅子が置かれていた。

さて、大沼入口(8時18分)を過ぎて弁天沼(8時34分)に着くと、その先から次第に傾斜が増していくが、妻もまだ元気なので問題は無さそう。しかし、尾根(9時7分)に乗ってからが一苦労であり、雪解けでドロドロに泥濘んだ段差の大きい斜面に思わぬ苦戦。それでも何とか頑張って、9時27分にようやく立派なお社の建つ山頂(1765m)に着くことができた。

12年前に一人で訪れたときにはガスで何も見えなかったが、今日は快晴に恵まれたため、釈迦ヶ岳~中岳~西平岳と続く山並みを間近に眺めることができる。妻にはあらかじめ釈迦ヶ岳まで縦走できることを話しておいたが、まあ、既に2時間以上歩いているのでちょっと無理だろう。そう思ってここから下山して良いか確認したところ、意外にも彼女の答えはNOであり、9時50分に釈迦ヶ岳を目指して再出発!

幸い泥濘が酷いのは鶏頂山直下だけであり、そこを抜けてしまえばずっと歩きやすくなってくる。それなりのアップダウンがあるのでスピードは上がらないが、のんびり歩いて行けば無問題であり、明神岳分岐(10時32分)~大間々台分岐(11時11分)と進んで11時20分に釈迦ヶ岳(1795m)の山頂に到着。

そこには大間々台方面からと思われる多くの登山者が休憩しており、我々も少し離れたところに腰を下ろす。妻にしてみれば久しぶりの“ロングウォーク”になる訳であるが、表情にはまだ余裕があり、6年前に大間々台から登ったときに比べると随分逞しくなった印象。まあ、実際にはペース配分が上手くなっただけなのかもしれないけどね。

さて、11時47分に下山に取り掛かり、まずは往路を引き返して12時46分に弁天沼近道分岐分岐に着く。ここを右に入るとしばらくは残雪の上を歩くことになるが、その先には今日一番の快適な登山道が続いており、そこを歩いて弁天沼(13時6分)~大沼入口(13時24分)。ここから大沼(13時27分。ここにも白い椅子が2脚置いてあった。)まで往復した後、ゲレンデ最高地点(13時49分)を経て14時29分に駐車場まで戻ってくる。本日の総歩行距離は11.0kmだった。

ということで、鬼怒川温泉を抜けるところでちょっとだけノロノロ運転にハマったが、GWらしい渋滞に巻き込まれたのはそこだけであり、後は軽快に車を走らせて無事帰宅。車中で、釈迦ヶ岳まで頑張った理由を妻に尋ねたところ、先日の銀山温泉で溜め込んだカロリーを消費するためとのことであり、やはり我が家の山歩きは花見よりダイエット優先のようです。
f:id:hammett:20210518160149j:plain

二度目の山形旅行(第2日目)

今日は、チェックアウトの時刻まで宿でゆっくりしてから帰宅する予定。

目を覚ましたときにはまだ小雨がパラついていたが、しばらくするとそれも上がったようであり、朝風呂に入ってから妻と一緒に早朝散歩に出掛ける。昨日、散歩のときに確認しておいたとおり、銀鉱洞へと続く散策コースは残雪のため通行止めになっていたが、抜け道(?)を見つけて白銀の滝を正面から観賞できる場所へと移動。やはり滝の写真を撮るにはこうでなくっちゃね。

その後、朝食を食べてから部屋でゴロゴロしているとチェックアウトの時刻が近づいてきたようであり、荷物をまとめて宿を出る。駐車場が近いのは分かっているので、車は断って徒歩で移動し、気になっていた「大正ろまん館」に立ち寄って最後のお土産購入。天気は依然として不安定なため、そのまま帰宅することにした。

ということで、遅い昼食をとるために「那須ガーデンアウトレット」(=意外にも飲食店は少なく、内容的にもイマイチ)に立ち寄ってから無事帰宅。コロナ禍と不安定な天候のおかげでGWの渋滞等に巻き込まれなかったのは有り難かったが、やはり気分的にスッキリしないのは否定しがたいところであり、一日も早いコロナ禍の終息を願っています。