二度目の山形旅行(第1日目)

今日は、妻&娘と一緒に一泊二日の日程で二度目(?)の山形旅行に出掛ける日。

せっかくのGWではあるが、コロナ禍のせいで東京方面への旅行はNGであり、昨年の山歩きでもお世話になった山形方面を選択させて頂く。宿泊地は銀山温泉にしようと思ったのだが、あいにくどこも予約はいっぱいであり、やむなく山形市内のホテルを予約。しかし、直前になって銀山温泉の旅館に空きがあるのを妻が発見し、何とか当初の希望を叶えることができた。

さて、今日の目的地は“山寺”として知られている「立石寺」であり、高速道路を使って午前10時過ぎに根本中堂の隣りにある駐車場に到着。ここは長男が幼かった頃に家族で訪れたことはあるが、娘は今回が初めて。巡拝料(@300円)を支払ってから山門に入ると、そこには“登山口”の表示があり、最近、山歩きから遠ざかっている彼女が途中で音を上げないかちょっと心配になる。

しかし、娘の足取りは意外に軽やかであり、程々の数の観光客に混じってジグザグ状の石段を苦もなく上がって行く。途中にあったはずの休憩所は廃止されてしまったようであるが、五大堂からの眺望はやはり素晴らしい。結局、奥の院に着くまでに小一時間程要してしまったが、娘の表情は淡々としたものであり、これを契機にまた山歩きにも付き合って欲しいものである。

下山後は境内の土産屋で名物の玉こんにゃくを食すが、昼食はカフェ的なお店が良いだろうということで「商正堂」という和菓子屋(∵パンフにあるカフェが見つからなかった。)に入ってみる。正直、あまり期待はしていなかったのだが、軽食代わりに注文した甘味類等はどれもなかなか美味であり、それは空腹のせいとばかりは言えないような気がする。

一方、お天気の方はあまりぱっとしないようなので、食後はそのまま本日の宿である「旅館永澤平八」へ向かう。銀山温泉というのはどんな秘境にあるのかと興味津々だったのだが、カーナビの距離表示が近づいてきても周囲はありきたりの田園風景のままであり、最後は係の方の誘導に従って宿の専用駐車場に車を停める。

妻が電話を入れるとすぐに車で迎えに来てくれたが、乗車時間はほんの数分であり、銀山川に架かる橋を渡ったところからは徒歩移動。その先に広がる数百メートルの区間銀山温泉の全てであり、川の両岸に数軒の旅館や商店が建ち並んでいる。予想していたよりずっと小規模ではあるが、そのレトロな雰囲気は期待どおりであり、やはりここは宿泊しないと意味がない。

さて、そのレトロな外観とは違って旅館の内部はきちんと今風に整備されており、通りに面した部屋の広さも十分。休憩後、散歩に出掛けるが、土産物屋等を冷やかしても小一時間で一回り出来てしまい、観光だけを目的に来たのではちょっと物足りないのではなかろうか。そんなことを考えながら宿の貸し切り風呂に入ってゆっくり汗を流した。

ということで、夕食後、温泉地の夜景を写真に収めようと外に出るが、散歩のときは時折パラつく程度であった雨は本降りになっており、一、二枚、宿の写真を撮っただけですぐに退却。その後は久しぶりの飲酒の影響もあってか、あっさり寝入ってしまったようであり、娘が部屋の照明を消してくれたことも記憶にありませんでした。

少年の名はジルベール

漫画家の竹宮惠子(=へぇ~、改名してたんだ。)が、上京後、「風と木の詩」を発表するまでの経緯を綴った自伝的作品。

著者は、いわゆる「花の24年組」の一人であるが、萩尾望都大島弓子山岸凉子といった天才たちに比べると個人的評価は相当低く、代表作と言われる「風と木の詩」も読んだことはない。たぶん「地球へ…」は手にしたことがあると思うが、正直、その内容は全く憶えておらず、雑誌に載っていた読み切り作品(=某有名SFのパロディというか、パクリみたいな内容)をたまたま目にして、“酷い作品だなあ”と思ったのが著者に対する一番の印象。

まあ、そんな訳で、本来なら一生読むはずのない作品なのだが、今話題になっている萩尾望都の「一度きりの大泉の話」を読むにはまずこの本を読んでおいたほうが良い、という情報を複数入手して、早速、図書館にリクエスト。う~ん、デヴィッド・グレーバーの著作は2冊しか置いていないのに、こういう本はしっかり揃えているんだなあ。

内容は、上京した著者がスランプを脱して「風と木の詩」を発表するまでの5、6年間の出来事が中心になっているのだが、スランプ脱出の鍵が“脚本の重要性に気付いたこと”というオチはあまりにも凡庸であり、正直、読んでいてあまり面白くない。ネタ的には興味深いエピソードも少なくないのだが、おそらくこの人はストーリーテリングの能力があまり高くないのだろう。

ということで、作品的には満足と言えないものの、この“5、6年間”には問題の「大泉サロン」の時代が含まれている訳であり、萩尾との同居生活や、山岸も加わえたヨーロッパ旅行の様子の描写にそれなりのページ数が費やされている。勿論、それは竹宮サイドから描かれたものであり、それが萩尾の認識とどう異なっているのか、既に購入してある「一度きりの大泉の話」を読むのが今からとても楽しみです。

シカゴ7裁判

2020年
監督 アーロン・ソーキン 出演 サシャ・バロン・コーエンエディ・レッドメイン
(あらすじ)
大統領選挙を数ヶ月後に控えた1968年8月、シカゴで開催される民主党全国大会にベトナム戦争に反対する多くの若者たちが押し寄せてくる。しかし、市側の非協力的な対応のせいでデモ隊と警察との間に衝突が起きてしまい、双方に多くの負傷者を出す結果へと発展。選挙後、この事件を重く見たニクソン政権は、アビー・ホフマン(サシャ・バロン・コーエン)らデモに参加した各グループのリーダーたち7人を共謀罪などで起訴することに…


“シカゴ・セブン”と呼ばれた実在する被告たちの法廷闘争の様子を描いたNetflix映画。

アカデミー賞の作品賞等にノミネートされていることは知っていたのだが、屋久島旅行等々のことが気に掛かってなかなか視聴意欲が湧いてこない。しかし、アカデミー賞の結果発表の日(=現地時間の25日)は目前に迫っており、その結果を知ってから見るのも申し訳ない(?)ということで、ようやく重い腰を上げることになった。

さて、デモに参加した各グループ間に共謀の事実がないことは事件発生直後の捜査で明らかにされており、また、衝突の直接のきっかけを作ったのは警察側であることは当時の司法長官も認めている。したがって、本件の起訴は極めて筋悪であり、担当を命じられたシュルツ検事もいまひとつ気が乗らない様子。

そんな検察に代わって本作の“悪役”を引き受けているのが裁判官役のホフマン判事であり、傲慢不遜としか言いようのない彼が被告の若者たちを快く思っていないのは最初から明らか。特に目の敵にされるのがブラックパンサー党のボビー・シール(=彼は途中で裁判から除外されてしまうので、シカゴ・セブンの一員ではない。)と、アビー・ホフマン&ジェリー・ルービンのおちゃらけコンビであり、被告の一人であるトム・ヘイデン(エディ・レッドメイン)は、無用に(?)ホフマン判事の怒りを買うのは得策ではないとの判断から、後二者に対して不満を抱いている。

しかし、そんなトムの裁判上の窮地を救うのが(実は昔から彼のことを高く評価していたことが判明する)アビーだったり、真面目で礼儀正しいはずのトムが最後の最後でホフマン判事を激怒させる等々、シナリオはとても良く出来ている。そんな訳で、アカデミー賞の作品賞や脚本賞にノミネートされたのは十分納得できるものの、映像面での工夫はあまり見られず、重厚さにも欠けるということで、まあ、作品賞はちょっと無理だろう。

ということで、本作におけるアビー等の行動を見ていて思い出すのは、「抵抗の形式は、われわれが通常想像するよりはるかに豊かなのだ」というデヴィッド・グレーバーの言葉であり、「人びとはそれぞれ自分自身の行動を決定すべきだが、それでも(自分が認可しえない)異なった選択をする人びとの連帯を保持せねばならない」というのが本作の結論の一つになっているのだと思います。

屋久島旅行(第4日目)

今日は、3泊4日の日程の最終日であり、再びまる1日かけて帰宅する予定。

当初の日程では安房港13時30分発の高速船に乗れば良いことになっていた故、午前中に白谷雲水峡を訪れる予定でいたのだが、コロナ禍による減便の影響で宮之浦港10時45分発に変更されてしまい、う~ん、これでは太鼓岩まで往復するのは難しそう。そんな訳で今日の白谷雲水峡は諦めてしまい、ゆっくり朝食を食べてから宿を出る。

台風2号が進路を東に変えてくれたお陰で天気は今日も快晴。8年前の表銀座縦走から始まって穂高岳、白馬岳そして熊野古道と、これまで2泊以上で計画した山行は必ずといって良いほど雨に祟られてきたところであり、こんなに天気に恵まれたのは初めてなんじゃなかろうか。願わくば、これを契機に雨男の不運とはオサラバしたいものである。

ということで、高速船と飛行機の連絡が悪いため復路でも乗り継ぎに相当の時間を要することになってしまったが、予定どおり高速船~JAL国内線~新幹線~バスと乗り継いで21時前に無事帰宅。こんなに楽しい4日間を過ごすことができたのも、バス停まで車で迎えに来てくれた妻を始めとする家族の理解と優しさの賜物であり、本当に幸せなことだと思います。

屋久島旅行(第3日目)

今日は、屋久島観光の定番である縄文杉トレッキングを楽しんでくる予定。

縄文杉までは白谷雲水峡からも歩いて行けるらしいのだが、今回はあくまでも“妻と一緒に歩くときの下調べ”であり、最もポピュラーな荒川登山口からのルートを選択。しかし、交通規制によってそこまでレンタカーで行くことはできない故、屋久杉自然館を午前5時に出発するバスに間に合うように宿を出る。

この始発バスに乗ったのは29人だが、係りの方の話によると今日は修学旅行の予定がバス2台分入っているそうであり、なかなか賑やかな山歩きになりそうな予感。定刻に出発したバスは5時半頃に荒川登山口に着いたので、トイレをお借りしてから5時36分に歩き出す。今日は、昨日購入しておいた携帯トイレ(=昨日は間に合わなかったが、往路での水分補給を制限したせいか、その必要性は生じなかった。)持参だが、まあ、念には念を入れておくべきだろう。

さて、最初は有名なトロッコ道を歩いて行くのだが、橋を渡った先にはトンネル(5時39分)が出てくる等、なかなか楽しそうな雰囲気。その先では線路の左側に大きな一枚岩(?)が迫っており、数年前のような大雨のときにはここが滝状になってしまうのだろうが、本日の天気は昨日に引き続き無風快晴であり、そんな心配は全く無用である。

さらに進むと頭上に桜の花が咲いており、ちょっとビックリしてしまったが葉っぱの形が違うのでこれがサクラツツジなのかもしれない。ここまでガイド付きの団体客はかなり前に追い越してきたものの、歩くスピードを落とした途端に数人の単独行の若者に追いつかれてしまい、その度に先を譲る。どうやら縄文杉一番乗りは難しそうだが、何とか修学旅行生による人混みができる前には到着したいものである。

さて、小杉谷小・中学校跡(6時18分)のところで左に急カーブしてからも、楠川分れ(6時40分)~トイレ(6時43分)~三代杉(6時44分)~仁王杉(7時18分)とトロッコ道は続くが、昨日、その付近を歩いた爺ケ岳が見える(7時28分)ようになると終点間近であり、7時32分に大株歩道入口に着く。ここからはトロッコ道を外れて山の急斜面を上っていくのだが、間もなく団子になって歩いている単独行の若者たちに追い付いてしまい、今度はこちらが先を譲ってもらう。

おそらくこれで日帰りチームの先頭に立てた筈であるが、少し前から反対側から歩いてくる縦走者とすれ違うようになっており、いずれにしても縄文杉を独り占めするのは難しそうだなあ。しかも、その人数は10名や20名にとどまらず、う~ん、“コロナ禍下における山小屋利用は推奨されていない”という情報は何だったのだろう?

まあ、やっかみ半分でそんなことをボヤきながら歩いていると、7時48分にウィルソン株に到着。やはり2人の縦走者がいらしたものの、すぐに離れて行ってくれたのでゆっくり内部を観察することができたが、上部の空間をハート形になるように撮るにはコツが要るようであり、なかなか上手くいかない。外に出たところで単独の縦走者に話しかけられたが、その若者は2泊3日の日程で縦走しているそうであり、正直に“羨ましい”と伝えておいた。

その後、長い階段の途中でヤクシカとの再会を果たしてから、8時22分に大王杉。名前は付いていないものの、その周囲にも杉の巨木が点在していおり、昨日歩いたところよりこちらの方が杉の生育に適しているのかもしれない。そして、その頂点に君臨しているのが縄文杉であり、(南側デッキには人の気配がしたので)8時50分に着いた北側デッキからようやくその雄姿とご対面。

京都の北山杉のようにきちんと間伐や枝打ちをされて育てられた杉林も美しいが、自然のまま自由奔放に幹や枝をくねらせた縄文杉の迫力は圧巻であり、うん、確かに一見の価値はある。その後、南側デッキに移動するが、2、3名程度の登山者の姿が途絶えることはなく、“独り占め”は諦めて9時3分に下山に取り掛かる。

帰りのバスは荒川登山口15時発の予定であり、まだ時間はたっぷりあるものの、ここでのんびりしていても“バス2台分の修学旅行生”が押し寄せて来るのを待つだけになってしまうだろう。そんなことを考えながら大王杉(9時25分)~ウィルソン株(9時59分)と往路を引き返していくと、案の定、修学旅行生を含む多くの登山者とすれ違うことになるが、大株歩道入口(10時11分)まで戻ってきた頃には周囲の人影はかなり減っていた。

ここから再び長~いトロッコ道を歩くことになるが、この時間帯になれば対向者はほとんど居ない筈であり、スマホの音楽を鳴らしながらのテクテク歩き。選曲は、トロッコ道に因んでBob Dylanの「Blood on the Tracks」にしてみたが、途中で出会ったヤクシカやヤクザル(×2)からも特に喧しいとのクレームはなかったように思う。

さて、11時53分に荒川登山口まで戻ってくると、ここまでの総歩行距離は21.6kmであり、建物の前のベンチに座ったご老人一人(=修学旅行の付添とのこと。)以外、全く人影は見当たらない。飲み物の自販機が無いのは予想外だったが、建物の内部では無料Wi-Fiを使うことも可能であり、明日の帰路の確認等をしながらのんびりバスの時刻を待つ。そう言えば、今日も携帯トイレの出番はなかったなあ。

そうこうしているうちにぼつぼつ後続者が到着するようになり、中にはバスを待たずにタクシーを呼ぶ方もいるみたい。俺も一度誘われたが、まあ、宿に帰っても特にやることはない故、15時発のバスを待って帰途につく。ちなみに、そのバスに乗ったのはほとんど単独行の方々ばかりであり、ガイド付きの団体さんたちは相当スローペースで歩いているようである。

ということで、今日も予定より早く宿に帰ってきてしまったが、そのおかげで16時半からの一番風呂を独占できるのが有り難い。肝心の縄文杉トレッキングは、距離は長いもののその半分以上を占めるトロッコ道は平坦であり、妻でもそれほど無理せずに歩いてこられるだろう。残る問題は“下山後のお楽しみ”だけということになりそうです。
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屋久島旅行(第2日目)

今日は、我が国の最南端に位置する日本百名山である宮之浦岳を淀川登山口からのピストンで歩いてくる予定。

レンタカーを借りたのでバスの時刻等を気にする必要はないのだが、淀川登山口の駐車台数は相当限られているらしく、路上駐車になるのを避けるために午前4時20分に宿を出る。“南国”の故、日の出が早いというイメージがあったのだが、よく考えてみれば日の出時刻に影響するのは南北ではなくて東西であり、なかなか明るくならないなあとボヤきながらレンタカーで県道592号線を進んでいく。

しばらくすると先行車両に追い付いたので“シメシメ、この車に付いていけばあとは楽ちん!”と思ってスピードを落とすが、10分くらい走ったところで先を譲られてしまい再び単独走。まあ、道幅はだんだん狭くなっていくが、これくらいの林道なら何度も走った経験があり、たまにすれ違うタクシーに注意しながら5時10分頃に淀川登山口に着く。5台分しか確保されていない白線内の駐車スペースの空きは1台分だけであり、先程、先を譲ってもらったおかげで何とか路駐を避けることができた。

さて、山中ということもあってか周囲はまだ薄暗く、宿で用意してもらった弁当(=外注らしいが、決してうまくない。)を半分だけ食べて暇つぶし。そうこうしているうちにようやく明るくなってきたので5時33分に歩き出す。格好は革の登山靴にCW-Xという久しぶりの本格登山姿だが、内心はあくまでも観光気分であり、待ちに待ったせっかくの機会をバテで台無しにしないよう、意識的にスピードを控えめにして歩いていく。

周囲には(内地であれば)御神木クラスの杉の巨木が文字通り林立しており、それらが朝陽に照らされて輝いていく光景はちょっと神秘的。そんな人の手が付けられていない秘境のような光景に反して登山道は明確であり、500mくらいの間隔で設置されている標識もとても理解しやすい。こういった“管理された秘境”というのは俺の最も好むシチュエーションであり、うん、やっぱり来て良かったな。

さて、6時7分に着いた淀川小屋には、コロナ禍にもかかわらずそれなりの利用者がいるようであり、正直、この快晴下での縦走はちょっぴり羨ましい。小屋のお隣りにある橋を渡った先からはそれなりの上りが続くが、視界が広がってトーフ岩が眺められるようになると高盤岳展望所(6時59分)はもうすぐであり、ここからの眺めは文句なしに素晴らしい。

小花之江河(7時6分)~花之江河(7時14分)という二つの湿地に設置された木道上にはうっすら霜が付いており、周囲の冷気が汗ばみ始めた体をヒヤッとさせてくれる。7時27分に着いた黒味分れの標識には「この付近携帯電話利用可能」の表示があり、LINEを使って自宅に途中経過の報告。ここを左折すれば黒味岳に行けるが、まあ、とりあえずは本命の宮之浦岳を目指すことにしよう。

ややワイルド感の増した登山道は依然として明瞭であり、ちょっとした岩場を越えて平坦な巨石の上に立つ。おそらくこの周辺が投石平(7時50分)であり、そこからは無数の奇石が点在する素晴らしい景色を一望することができる。森林限界を超えたこともあってそこから先は絶景の連続であり、それぞれ頂上に奇石を戴く山々の向こうには広大な海が広がっている。

ルートはそんな山々の山頂を避けるようにして続いているのだが、ネット上に多くの写真が掲載されているロボット兵(8時36分)の先にある栗生岳(1867m)はその唯一の例外であり、8時53分に山頂を通過。その先にある小ピークを越えるとようやく宮之浦岳の姿を視認することが出来るようになり、本当に奥深いところにあるんだなあと思いながら9時5分にその山頂(1936m)に立つ!

九州地方の最高峰でもあるそこからの景色はまさに圧倒的であり、ギザギザの永田岳や遠く口永良部島の姿を認めることもできる。このような絶景を無風快晴のコンディションで眺めることができるのは無上の喜びであり、隣に妻の姿がないことだけが唯一の心残り。おそらく山小屋利用の縦走なら彼女にも歩けると思うが、まあ、問題はその気力が残っているかどうかだろう。

先客はお一人だけだったが、間もなく3人目の登山者が現れてしまい、なかなか山頂を独占するのは難しそう。仕方がないので4人目の登山者が上ってきたところで下山(9時23分)に取り掛かり、栗生岳(9時38分)~最終水場(9時53分。せっかくなので一口飲んでみた。)~投石平(10時33分)と往路を引き返す。途中、可愛らしいヤクシカにお会いすることも出来たが、本土の鹿とは異なり、人の姿を認めても走って逃げ去るようなことはない。
 
さて、10時58分に黒味分れまで戻ってくるが、まだ大して疲れてもいないのでそこにザックをデポして黒味岳に立ち寄ることにする。何度か急な岩場が出てくるが、そこには太くて黒い立派なロープが備え付けられており、それを使ってどんどん先へと進んでいく。上りが一段落すると一つ先の岩のピーク上に人影が認められ、どうやらそちらが黒味岳の山頂らしい。

最後は岩場をよじ登るのかと思ったが、ルートは回り込むようにして急登を避けており、さして苦労することもなく11時23分に黒味岳(1831m)の山頂に着く。他の山と同様、この山頂にも巨石が二つ並んでおり、より高いのは山名板が置かれていない方の石なのだが、そこには二人連れの先行者が大きく荷物を広げているためにちょっと近づきにくい雰囲気。

しかし、待っていても代わってもらえそうにない故、勇気を出してそちらの石に移動して山頂からの景色を写真に収める。男性の方から“邪魔ですか?”と聞かれたが、そうですねと答える訳にもいかず、大丈夫ですと口ごもりながら早々に山名板が置かれている方の石に戻る。後続者の姿は見えないので、その平らな石の上に大の字になってしばし休憩。

黒味分れまで戻ってきたのは11時59分のことであり、そこから先は花之江河(12時13分)~淀川小屋(13時12分)と歩いて13時46分に淀川登山口へ帰着。ここまでの総歩行距離は16.0kmだったが、予定していたよりちょっと早く戻ってこられたので、屋久杉自然館で明日の荒川登山口までのバス切符を購入してから島の西側にある大川の滝へと向かい、大迫力の滝の姿を眺めてから宿に戻った。

ということで、最高のコンデイション下で念願の宮之浦岳登頂を果たすことが出来、まずは大満足の一日。しばらくロングウォークから遠ざかっていたのでバテずに最後まで歩けるか少々心配していたが、まあ、何とか人並みのペースで歩いてこられるくらいの体力はまだ残っているらしい。明日の縄文杉トレッキングも無理のないペースで歩いてこようと思いながら早めに眠りに就きました。
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屋久島旅行(第1日目)

今日は、3泊4日の日程で長年(?)の憧れであった屋久島に向けて出発する日。

5、6年くらい前から屋久島行きを検討していたのだが、(下山後の楽しみが不足しているせいか)なかなか妻の同意が得られないのが困りもの。しかし、ここ数年の体力の低下を考えると先の見えない延期は“致命傷”になる可能性が高く、昨年末、“妻と一緒に歩くときの下調べ”を口実に単独での実行を決意。早速、ネットで知ったオリオンツアーなる旅行会社の「飛行機&高速船利用! 民宿いっぱち〈夕朝食付〉3泊4日」に予約を入れさせて頂いた。

もちろん最大の目的は宮之浦岳であり、縦走するか日帰りにするか最後まで迷ったのだが、下調べをしたHPによるとコロナ禍下における山小屋利用は推奨されていないようであり、悪天候時における対応の柔軟性等も考慮して後者を選択。まる2日ある自由時間のうち天気の良い方を宮之浦岳に、悪い方を縄文杉までのトレッキングに充てれば最悪の事態は避けられるだろうという計算である。

さて、出発日が近づくにつれてトカラ列島近海での連続地震や台風2号の発生といった予想外の事態に一喜一憂させられたが、幸い旅行期間中の天気予報は上々のようであり、本日早朝、妻に車で宇都宮駅まで送ってもらって計画スタート。コロナ禍による減便の影響で当初より乗継ぎに時間がかかるようになってしまったが、新幹線~JAL国内線~高速船と乗り継いで18時半過ぎにようやく屋久安房港に到着することができた。

ということで、安房港で手配しておいたレンタカー(=予算と山道走行時の利便性を考慮して軽自動車を選択)を受領し、19時頃に「民宿いっぱち」にチェックイン。例によってリーズナブルな安宿ではあるが、キレイ好きなご主人のおかげで内部は清潔に保たれており、食事は各部屋まで運んでいただけるということでコロナ対策も万全。明日の山行に備えて早々に布団に潜り込みました。